哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ブッダの教えは「自分」の得になると感じるようにできている


人は「俺、俺のもの」が錯覚だと分かるまでは、「俺」の利益になる(と感じる)こと以外決してできない。それを悪いといっても意味がない。それしかできないのだから。

釈尊は人類史上誰よりもこの事実を知り抜いていたとおもう。

釈尊の説いた戒・定・慧が実行可能なのは、迷える「俺」にも、それが最も自分の利益になると確かに感じられるようにできているからだ。

それは最初あまり分からなくても、修めるうちにはっきり感じられてくる。


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