哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

無知と生きんとする意志と死の恐怖は一体不可分

おれは以前
「『(盲目の)意志』は無明だ!
ショーペンハウアーを読んで、初めて釈尊の説く無明が分かった気がした。…無明が単なる無知であるはずがない。それでは、現にある人間と世界が、現にあるようには理解できない
と書いた。→過去記事「無明」

最近、これに関連のあるスマナサーラ長老の法話があった。([YouTubeで見る]をクリック)
特に40分以後を聴いてください。


関西月例冥想会 2013.12.15 1/1 最新

「無明は単純に不知 Nichtwissen の意」であって、それ以上の何ものでもないのだ(和辻哲郎)という主張が無明に関する学界の絶対権威になったということは、たんなる語源話で人間の直面している事実の話に上書きしてしまったということだ。月をさす指を月だと主張したに等しい。和辻哲郎って中学生の頃「古寺巡礼」と「風土」読んでなんとなく尊敬してたけどな。月をさす指を月だとおもうのは勉強頼みの馬鹿がやらかす定番のミスだ。
仏陀の教えと無縁の話だ。


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