ヴィパッサナー実践について。
よくいわれることだが、昔の人が木をこすって火をおこす要領でやる必要がある。
やるなら完全に燃え上がるまで一気にやらないと結果は出ない。
ちょっと煙が出たくらいで休むなら何度やってもあまり意味がない。
「あまり」という限定は、本番で手際よくやるための練習にはたしかになるからだ。
練習すらしたがらない大多数の人々より優れているが、練習を本番と取り違えると肝腎の火がけっしておきない。
人生のためのヴィパッサナーという自然な思いこみをヴィパッサナーのための人生に意志的に転換できないと、結局なにも成就しないだろう。
何時間も続けて疲れたら、ヴィパッサナーを中断せず身体を休めることは必要だ。
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この世界で何が起きても起きなくても心配はないのだ、ヴィパッサナーの実践さえあれば。
地獄の夢を見ても、極楽の夢を見ても、寝ておるのは寝ておる。
…ぶっちゃかる気遣いはないのじゃ。(澤木 興道老師)
だから
安心して専注修行。
※ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づき続けること。
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