自己を制した人
全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し、この世とかの世とを厭い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、──かれは(自己を制した人)である。
(ブッダのことばスッタニパータ516 中村 元訳)
最初の一句「内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し」…これだけでも実現は非常に困難なことだ。
ましてさらに「この世とかの世とを厭い離れ」「身を修めて、死ぬ時の到来を願っている」…道は遥か遥か遠い。
これを人と生まれた不幸とおもうことも幸福とおもうこともできる。
しかし、どうおもおうと実はまったく関係ない。
いったん生まれてしまったら、一本道を進むしかないからだ。
立ち止まって足踏みを続けることも、後ろ向きに走り去ることも、やるのは自由だが…結局は前進するしかない。逃げ道はまったくない。
だから、これは人の幸福だとおれはおもっている。おもいが関係ないならそうおもったほうが楽だし。
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