哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

とんでもなく宝の山状態の部屋

DVDを観る
「セックスアンドザカントリーガールズ」
結婚したい中年女が、狙う上玉男にうんこまで見られてしまうが、都合よくゴールインする話。なんだかな~


以下は映画とは関係ない話です。


アーナーパーナサティの「部屋」は宝の山状態だ。
日本人1億3千万の99%は、この「部屋」の存在すら知らないからだ。

なにも極楽浄土だけが易往而無人(行き易くして人無し)ではない。こんなちょっとした瞑想でさえ、すでにそうなのだ。


無常を実感できていないと、深い瞑想までスムーズに進むことが難しい。たんに言葉上の意味だけで無常を理解した気になっている人は、もっとも浅い瞑想にさえ入ることができないはずだ。
無常は、たとえ釈尊の説法を直接聞いたとしても、ただ聞いてるだけで理解することはできない。
自分の実感がどの程度深いかに厳密に正比例して、瞑想の深さが決まる。


言葉上の意味だけで無常を理解した気になっている人とは、どういう人のことか。
「一切は無常」と教えると「異議なし。事実です。知ってますよ」と答える人は少なくない。
同じ人たちに「人生は無意味。一切は無価値」と教えると「とんでもない。それは最悪のニヒリズムだ。誰が認めるというのか」と答える。こういう人たちを言葉上の意味だけで無常を理解した気になっている人というのです。


https://philosophy.blogmura.com/buddhism/にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ