哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

方法的信


以前ちょっと書いた真理発見法「方法的信」→ http://blogs.yahoo.co.jp/cyqnh957/17858220.html に関して、アンセルムスという中世の神学者

知らんがためにわれ信ず

とすでに主張していたことを最近知った。(勉強不足です、ハイ(^^;))

これは「理解できることや論証できることのみを信じる立場ではなく、また、信じることのみで足りるとする立場でもなく、信じているが故により深い理解を求める姿勢、あるいはより深く理解するために信じる姿勢である」

ウィキペディアWikipedia)』アンセルムス→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%82%B9より引用

やれやれ、とっくの昔に言われてたんだなあ。


ちなみに、「方法的信」の持つ毒性をおもいきり弱めて宗教色と危険性を完全に抜くと、「科学的仮説」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E8%AA%AC参照
という方法になるとおもう。

[090713追記]
「科学的仮説」は自分の心の探求にはほとんど無力である。これに飽き足りなくなった者は、危険な「方法的信」に挑戦せざるを得なくなるだろう。

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