哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

少しも心得たると思うことはあるまじきことなり


4月24日の記事
「安心できるわけない」という安心

の内容と同じことを、蓮如上人は次のように示しているとおもいます。


心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、心得えたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも心得たると思うことはあるまじきことなり。

蓮如上人 聞書213より)


ちなみに、道元禅師はこの偉大な真理を
修証一如(しゅしょういちにょ)(修行=悟り)
の一言で示しているとおもいます。

これは観念的に理解しようとすると微妙で困難な問題が生じます。
人間は安心を強欲に求める存在ですから、たちまち(なんだ、安心できなくていいんだ)(悟らなくてだいじょうぶなんだ)と無法に「安心」してしまう。
これはもう毫釐(ごうり)も差あれば、天地(はるか)にへだたる(最初のちょっとした思い違いが、やがて天と地の差になってしまう)
(三祖 信心銘)で、教えからしだいに離れてしまうことは避けられないとおもいます。

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