昨日、ビートたけしの「あの戦争は何だったのか~日米開戦と東条英機」(TBS系列CBC6.55~23.44)を観た。
坂口安吾『続堕落論』は、おれのBibleの一つだが、そのなかにこう書いてある。
ナンセンス! ああナンセンス極まれり。
この言葉の意味が、番組を観てはじめて鮮明に理解できた。
「自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。
それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか。実際天皇は知らないのだ。命令してはいないのだ。ただ軍人の意志である。満洲の一角で事変の火の手があがったという。華北の一角で火の手が切られたという。甚(はなはだ)しい哉(かな)、総理大臣までその実相を告げ知らされていない。何たる軍部の専断横行であるか。しかもその軍人たるや、かくの如くに天皇をないがしろにし、根柢的に天皇を冒涜(ぼうとく)しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである。ナンセンス! ああナンセンス極まれり。しかもこれが日本歴史を一貫する天皇制の真実の相であり、日本史の偽らざる実体なのである。」
戦争で金を儲け平和になると儲からなくなる者達にとって、戦争は明らかに望ましいものだ。
しかし戦争が次々起こり平和が来ない真の原因は彼らではないことに気づかないと、戦争がやむことは決してない。
戦争の真の原因は、ごく普通の人々が
「自分は死んでも生きている」
という幻想に取り憑かれていることだ。
人々がこの妄信を改めない限り、戦争で金を儲けようとする者がこの人々の中から次々育ち、戦争は繰り返される。
日中~太平洋戦争で日本人310万人が残酷に殺された。
人間一人一人に隠された我欲が、この無残極まる結果を招いたのは間違いない。
半世紀以上経った今「羹に懲りて膾を吹く」が「のど元過ぎれば」に腐敗した。
人間の犯罪的な我欲の愚かさは、また同じ過ちを犯す。
人々は、なにひとつ変わっていなかったのだ。
犬が自分の吐いたものに戻るように
愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
( 新共同訳 旧約 箴言 26章 11節)
今度やったら死者は310万人どころではなくなる。
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