哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

自己の確立


悟りを目指す準備段階として「自己の確立」が必要だ。

「自己の確立」は、本来無い自己を立てるのだから、矛盾ではないかとか、最終的に消える(乃至(ないし)最初から無い)「自己」をわざわざ起こすのは迷うための苦労でないのかとか言う人がいる。

そういう人は、言葉の字面に迷っているに過ぎない。

戦後生まれの日本人が子供のころから教えられてきた西洋的文脈でいう自己確立の内実は「自分は、今までぼんやり生きてきたが、これからは人間として自覚的にしっかり生きていこう」と決意することだ。これは、仏教が昔から説いてきた「菩提心を起こすこと(発菩提心)」と同様の心理状態だから、言葉にとらわれない限り、矛盾は何もない。



(補足070917)
ちょっと整理しておきたい。
『平均人→野心家(悪人→正義の人)→聖者』が人間の成長パターンだ、というのがおれの持論です。

→過去記事 http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2N5cW5oOTU3LzE1OTU3MTE4Lmh0bWw-
野心家の心理として現れるのが「自己の確立」で、野心家の最終形である「正義の人」の心理として現れるのが「発菩提心」です。
したがって、「自己の確立」は「発菩提心」を含む、より広い概念です。


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