やってみる。呼吸を意識する実験
7時起床、ヴィパッサナー30分を2回。居眠りはしなかったが、2回目の30分が雑念で挫折。これじゃ何日やってもダメだ。
風呂に入ってから、呼吸を意識し続ける実践(実験)を試みる。
釈尊は「呼吸を整える思念」を修行せよと説いた。呼吸を自然のままにして、いろわず、ただそれを意識し続ける修行。
今、ここ、で現実に確実に息をしているものの、はく息すう息を意識し続ける。
息を注意深く隙間なく意識して「(息が)入る、入る、入る」「止まる」「出る、出る、出る」「止まる」を繰り返す。ひたすら意識することを繰り返す。雑念は切らずに無視する。ヴィパッサナーとは微妙に違うかもしれない。
呼吸を意識することは簡単だ。頭の善し悪しには関係ない。身体障害者でも全く差し支えない。およそ生きている人間でごくごく簡単な言葉の意味を理解できる程度の頭脳の持ち主なら誰でもできる。ところがこの簡単なことをやる者はほとんどいない。かってほとんどいなかったし、今もほとんどいないし、これからもほとんどいないだろう。ちょっとやってみる者は多い。やり抜く者がいないのだ。
調息とはいうけれど 呼吸を調えようと努力してはいけない。そんなことをすれば調息にならない。ただ呼吸を意識するだけでよい。それが調息になるという。
しかし実際にやってみた感じでは、自然に呼吸するのをそのまま意識し続けるのは不可能だと思う。
呼吸を意識することと、意識的に呼吸することとの違いは微妙だ。おれはこの微妙な違いをはっきり知ることができない。
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