哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ヴィパッサナー(一切皆苦)


昨夜8時半から9時半までヴィパッサナー。
呼吸が苦しみであることを実感できた。忘れないうちにメモする。

外気を吸い込む時、心地よさがある。いや、心地よさがあると錯覚している。吸い込み終わるとその「心地よさ」は完全に消え、なんともいえないもやもやした苦しさが現れる。耐え切れず息を吐く。吐くときは吸い込む時ほどの「心地よさ」はない。しかし苦しみはひとまず薄れていく。吐ききった時、なんともいえない苦しみが再び現れる。(最初に戻る)。

今日、0時から1時までヴィパッサナー、呼吸が苦であるという発見をもう一度確認しようとしてやったみたが、2度目はたんに記憶をたどっているだけのようで実感が薄い。

ヴィパッサナーは
「さとりたい」と思ってやる者より「この苦しみを無くしたい」と思ってやる者のほうがずっと早く成長する

と、説かれている。

おれが以前からひかれていた浄土系の、厭離穢土を強調するアプローチは、その意味では正しいのだと思う。

ともかく、日常世界の強固な錯覚妄想を排して、呼吸が苦しみであるという事実の実感を大切に守り、この苦しみから逃れようと一心不乱にヴィパッサナーを続けるしかない。







「さとりたい」と思ってやる者より「この苦しみを無くしたい」と思ってやる者のほうがずっと早く成長する。

※↑この教えの確認については、スマナサーラ長老の法話ポッドキャスト配信)
http://gotami.txt-nifty.com/journal/files/2006_0316sndgy_night-02.mp3

ダウンロードして聴くことができます。
[131217追記]残念ながら現在リンクが切れてます。






※「ヴィパッサナー瞑想
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

※「日本テーラワーダ仏教協会」公式サイト
http://www.j-theravada.net/