哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

架空対談25

キリスト者
「苦労は必ず報われる」って世間ではよく言うでしょう。こういう考えをどう思います?


仏教者
いい気なもんだって(笑)


キリスト者
僕もそう思うんですよ。もっと技巧的表現で「若いときの苦労は買ってでもせよ」とかね。こういうのって、実際にこの社会で成功した人たちの体験から出た言葉なんだろうけど…


仏教者
ここに予想されている「成功」がむなしいものであることを知って、こんなもんに振りまわされる愚を避けなきゃいけないよ。究極の成功・最後の勝利・真の幸福は決して「成功に苦労はつきもの」式の人生観にとどまっている人達の知りうるところではない。


司会者
もう少し分かりやすく言ってください。


現実主義者
僕もそう願いたい(笑)要するになにが言いたいわけ?


仏教者
つまり、世のいわゆる「善人」を非難しているわけです。
「我に七難八苦を与えたまえ」式のいこじな意志力は、悟りの境地に自分を近づける推進力ではない。悪運の強いものや世間知にたけた狡賢い者たちの濡れ手で粟の成功を見て「あんなものは本当の成功とはいえない」「悪銭身につかずさ」と言い合って「後ろめたいことをせず、苦労して得た成功こそ本当の人生の勝利なのだ」と考える人達。だから「最大の勝利には最大の苦労があるはずだ」と無意識に思ってしまう人達のことを言いたい。この人達は「わたし達の苦労は必ず報われるはずだ」「善人が損をするなんて」と言い立てる。さて、この人達の「苦労」とか「善人」とかの実態が問題さ。


キリスト者
その苦労は、はたして報われる価値のある苦労なのか、それとも、自分勝手な言い草なのかって事ですよね。


仏教者
ええ。この人達の考えの中にある浅ましさ、傲慢さが、はっきりした悪人たちの悪徳以上に、人の心を傷つけるかもしれないんだ。ここを分からない人が多いんだ。


キリスト者
そうですね。悪人達の悪行は社会から非難され罰せられもする。しかし、善人達の悪行は社会の誰からも非難されず、最後の審判でも来ないことには罰せられることもない。


仏教者
なによりも本人が、世間並みの善人であることに安住して微塵も反省の色がない。その安全な立場から、他人を褒めたり貶したりしている。


キリスト者
「懸命に働いている」とか「精一杯努力している」とか言いながら、ばかげたことをしている連中に対しては「俺は寝る」とでも言わなきゃしょうがない(笑)


現実主義者
「世の中に寝るほど楽なことはない浮き世の馬鹿は起きて働け」って狂歌はそういう意味かもしれない(笑)


キリスト者
仏教者にむかって)ところで、前の話にもちょっと出てましたけど、意志が強いのは危険だとか…まるで、努力しちゃいけないみたいに聞こえるんですけど…






(続く)

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