哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

八大人覚

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一つには少欲
かの未得の五欲の法のなかにおいて、広く追求せず。名づけて少欲となす。…

二つには知足
已得(いとく)の法の中、受取、限りを以てす。称して知足といふ。…

三つには楽寂静(ぎょうじゃくじょう)
諸のかい(にょう)を離れ、空間に独処す。楽寂静と名づく。…


「かい閙」喧噪(けんそう)(さわがしいこと)

四つには勤精進(ごんしょうじん)
諸の善法に於て、勤修無間、故に精進と云ふ。
精にして(まじ)らず、進んで退かず。…

五つには不忘念(ふもうねん)
また守正念(しゅしょうねん)と名づく。法を守って失わず。名づけて正念と為す、また不忘念と名づく。…

六つには修禅定(しゅぜんじょう)
法に任して乱れず、名づけて禅定といふ。…

七つには智慧(しゅちえ)
聞思修証(もんししゅしょう)を起すを智慧となす。…

八つには不戯論(ふけろん)
証して分別を離るるを不戯論と名づく。実相を究尽す。すなはち不戯論なり。…




これ八大人覚(はちだいにんがく)なり。
一一各八を具す。すなわち六十四あるべし。ひろくするときは無量なるべし。略すれば六十四なり。
大師釈尊、最後之説、大乗之教誨する所為り。二月十五日夜半の極唱(ごくしょう)。これよりのちさらに説法しましまさず。つひに般涅槃しまします。

道元禅師 正法眼蔵八大人覚)



遺教経は釈尊最後の教え。
八大人覚は遺教経の根幹。
道元禅師が主著「正法眼蔵」で最後に説いたのが八大人覚。

(此れ釈尊最後之教勅、且つ先師最後之遺教也)
これを澤木興道老師が提唱したのが上のテープ。
昔古本屋で見つけて、何度も聴いた。今でもたまに取り出して聴く。
(最近はMP3に変換したものをデジタルプレーヤーに入れて聴くことが多くなった)