哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

祭祀や苦行


魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪(ていはつ)も、結髪も、塵垢(ちりあか)も、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供(けんく)の奉仕も、或いはまた世の中で不死を得るための苦行も、神呪(しんじゅ)も、供犠(くぎ)も、祭祀(さいし)も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。

ブッダのことば スッタニパータ249 中村 元訳)



社会が成熟してくると、一時的退廃を経て、最終的に祭祀や苦行に深い意味を感じるように、人はプログラムされている、とおれは思う。

釈尊は、それは人が陥る落とし穴だと教えている。


(6日9:50追加)
釈尊は、アートマン(我)を立てることは愚か者のごまかしだと明言しています。
しかし人類は現在に至るまでアートマンを捨てることができていません。
唯一絶対宇宙創造人格神はアートマンの最終形です。
したがって、アートマンを捨てない社会は、成熟するたびに何度でも神を見いだし、祭祀と苦行という暗い穴倉に入る。