哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

悲惨な夫婦


イエス・キリストを)信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 …

ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
すると、ペトロは言った。
「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。
そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。
若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。
それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。
ペトロは彼女に話しかけた。
「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」
彼女は、「はい、その値段です」と言った。
ペトロは言った。
「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。
青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。
教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。

(使徒言行録4:32,5:1~11 新共同訳)





昔、あるキリスト教宣教師に「十分の一奉献」の説明を受けた時、おれはこの悲惨極まる死を遂げた夫婦の件を思い出し
「これは痛ましすぎる話だと思う。あなたはどう思いますか」
と訊いた。
ところが、意外にも
「えっ、そんな話があるんですか?」
と返されて拍子抜けした覚えがある。

とぼけられたのか、ほんとに知らなかったのか、今となっては確かめようもないが。





※「十分の一奉献」
あなたは、毎年、畑に種をまいて得る収穫物の中から、必ず十分の一を取り分けねばならない 。(申命記14章22節)