テレビで、新春恒例宮中行事「歌会始」の中継をやっていた。
それを観ているうちに、ふと思い出した和歌がある。
みな人の知り顔にして知らぬかな必ず死ぬるならひありとは
(新古今和歌集 前大僧正慈円)
「人は必ず死ぬという誰でも知っているあたりまえのことを詠むのは案外難しい」といった評価がある。
それはちょっと違うと思う。
人が必ず死ぬことは、誰も知らない。
ちっともあたりまえではない。
だから、詠むのが難しいのだ。
自分も含めて誰も知らないが、自分だけはその「誰も知らない」ことに、はっきり気づいているという自覚が、慈円にこの歌を詠ませた、とおれは思う。
慈円は『愚管抄』の作者として知られる鎌倉時代の天台座主。「当時異端視されていた専修念仏の法然や弟子の親鸞を庇護してもいる。なお、親鸞は1181年9歳の時に慈円について得度を受けている」(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E5%86%86参照
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