哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

絞った濡れタオルの快



銭湯(風呂)

日本人…固く絞ったタオル(てぬぐい)で身体を拭く。

西洋人…乾いたバスタオルで拭く。「絞った濡れタオルでは、拭いても気持ち悪い」と言う。

日本人は、外国人にそう言われて初めて「そうともいえる。それはそれでもっともだ」と気づく。

しかし、日本人は、固く絞った、湯の温かみ(体温に近い温かみ)の残っているタオルで身体を拭くときの清々しさは、乾いたタオルで拭くときの気持ちよさとは別にあることを知っていると思う。

もとは、たんに貧乏で2枚のタオル(てぬぐい)が用意できなかったことから、やむを得ず始まったことでも、今では独自の価値を持っている。

風呂上りの髪をドライヤーですっかり乾かすのも爽やかだが、絞ったタオルで髪を拭いただけの、少し湿り気が残った髪の感じは、やはり、別種の清々しさがあると思う。

この絞った濡れタオルの快は、乾いたタオルの快と比べて、優劣つけがたいという日本人の気分は、ひょっとすると西洋人には分かりにくいものかもしれない。

(西洋化した日本の最近の若者にも、分からなくなってるかもしれん。
日本人の気分というより、すでに「おれの気分」にすぎないかもしれん。

しかし、おれの中のこの日本人の気分は自分ひとりで容易に変えがたいものがある。
この気分が、おれ一代で獲得したものでなく、何代ものあいだにしだいに獲得形成したものであって、それが同じ日本人という位置に生まれ合わせたおれの中にも入り込んでいるものだからだ)