哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

架空対談13

現実主義者
本当にそう思って生きると、理性と感情は自己として最高度に澄み切ってくる。
世の中の何がつまらなくて、何が大切か、本当のところが明瞭に分かるようになる。


仏教者
それはぼくも、似たような体験がある。
世界がすっかり違ったふうに見えてきますよ。
まるで、初めて見たもののように、すべてが新鮮になりますよね。


キリスト者
それは大事なことです。
なんでも一度「永遠の相」において見つめて直すこと。
その印象を腹に置くこと。
つまり、すべての頭の働きに対して、原点「永遠の相」を置くことです。


現実主義者
…ちょっとこのへんで小休止しませんか。テーマが重いせいか、疲れてきた(笑)


司会者
すみません。みなさん、お疲れでしょうけど、このテーマだけ、もう少し続けてまとめちゃってください。
それから休憩を入れますので。


仏教者
まとめる気はないけど、いますこし続けようか。
人の死ぬ必然を、もっと真剣に考えてもらいたいわけですよ。
あなたもぼくも、あの人もこの人も必ず死ぬ事実についてね。
死において、人の平等性が歴然としているわけです。
たとえば、自分たちを神に選ばれた神国・神民だと信じ、他国の人々を差別しようとする愚行が、歴史において何度となく行われている。
しかし汝も我も、どこの国の人も必ず死に、そのありさまには実になんの区別もない。
身の丈が、われわれの半分、あるいは倍あろうと、肌が白だろうと黒だろうと、そこに区別差別のようはまったくありえないわけです。


現実主義者
むかし、岡林信康の「がいこつの歌」ってのがあった。それを思い出しましたよ。
当時ふざけた調子で歌ってたけど、死について深いことを伝えてたんだよ。





(続く)