哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

架空対談4役に立たない

仏教者
世界のありさまを、別のたとえで言います。
用向きや目的地を聞かずに、あわてていっせいに走り出してしまった、元気はいいが粗忽な子供たちに似ています。
彼らは誰一人「なんのために、どこへ」という肝心のことを知らないで走っている自分達のばからしさを考えてみようとしないんです。
そんなことより、自分の側を走り抜けて先に行こうとする他の仲間に遅れをとるまいとする焦りと功名心で心中をいっぱいにしてしまっているんです。
なにかのキッカケで運良く気づきかけても、そんな役に立ちもしないことをのんきに考えていると、みんなから置いてきぼりにされると恐れて、せっかくのチャンスを自分で潰すんですよ。


キリスト者
そうなんだよなあ。
だけど、愚かではないか。
どうして役に立たないと思ってしまうのか。
それに、こういう疑問が決してのんきには考えられないことも知らないんだ。


仏教者
それでうまくいくならいいんだけど、人が人を憎んだり、傷つけたり、おとしいれたり、殺したりする…信じられないことが日常になっているんですね。
こんなことがなくても、もともと人間は、戦慄的な運命に呪われながら生まれてきているんです。
それなのに、そのもとからある苦しみの上に、自分達でつくった苦しみを幾重にも重ねて、もう信じられないような修羅・餓鬼・畜生・地獄の世界にしている。


現実主義者
ぼくは、人がふだんからあまりにも社会からいじめられすぎていて、その怨念が変な具合に噴出してくるんだと思う。
人間社会を今あるように維持させているいろんな装置…社会通念、道徳、タブー、習わしといったものの多くは真理の装いをして、その実、人間をいじめているものでしかない。
そのあるものは、真理の一部を含んでいるため、別のあるものは真理のすぐ隣に位置している虚偽であるために、見誤れて、度外れた尊重を要求し続けて、人間を抑圧するんです。


キリスト者
しかしね。その本質的原因には、人が人間存在としての、自らなすべき命がけの任務を先へ先へと一世代ごと、一世代ごとひきのばし続けては惰眠を貪ぼらんとする欲望におぼれたがるということがあります。




(続く)