A.自分の救いのために、困っている人を助けようとする。
これは、非難はされないにしても、少なくとも最良の態度ではない、不純な動機が混じっているから、と思っていた。
B.ただ、困っている他人を見て、かわいそうだ、きのどくだと思い、その気持ちのまま人を助けようとする。
これが最良の態度だ、動機が純粋だから、と以前のおれは思っていたのだ。
今は違う。
Aの態度こそ、人が採りうる最良の態度だ、とおれは思う。
実は、マザー・テレサの言行の記録を読んでいるうちに、突然、ものの見方に転換が起きた。
彼女の考えが、単純にAだというつもりはない。
しかし、Bでないことは確かだ、とおれは思う。
(沖守弘『レンズに焼きついたマザー・テレサの愛』http://r20.root.or.jp/onsuwa/oki/mother.htmlより引用します)
私たちにはマザーの行いは「貧しい人を助けている」としか見えない。しかし、マザーやシスターたちは、病気の老人や捨てられた子どもの中に神様を見ているのです。
(引用終)
(『マザー・テレサ語録 Part2』http://www.nsknet.or.jp/~kmg/teresa03.htmより引用します)
私がもし、社会福祉や慈善のために活動するのだったら、しあわせだった家も捨てなかったでしょうし、両親とも別れなかったでしょう。
私は神に捧げた身ですから、いま私がしていることはヒューマニズムでもなんでもないんですよ。
ごく当たり前のことなんですよ。
(引用終)
マザー・テレサは、少しも謙遜して言っていない。
彼女の行為は、本当に社会福祉や慈善活動ではないのだ。
ヒューマニズム(=人助け)ではないのだ。