妙手の代償
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等が主張する、人間に話しかけたり命令したりする絶対人格神とは、「存在の意味」を俗耳に入りやすいように対象化してみせたものだ。
神の現存を実感している信仰者が、そのことに気づいていようといまいと、彼・彼女のしていることはそういうことなのだ、とおれは思う。
しかし、これには極めて大きな無理がある。
「存在の意味」は、決して対象化されえない唯一のものだからだ。
その無理のために、絶対人格神宗教においては、不寛容で愚劣な思想的混乱の大パノラマが必然的に繰り返されてきた。
俗耳を容易にひきつけてきた絶妙手の代償はあまりにも大きい。
「きみに読む物語」秀作
「残された時間は?」
「どうかな…この前は5分もたなかった」
のところで泣けた。
(いま、GIAOシネマで無料で観れる。来年1月1日まで)