哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ただ本を得て末を愁うることなかれ

イメージ 1

この本で人生が変わった。

『ただ(もと)を得て(すえ)(うれ)うることなかれ』



本は真如、末は神通の意味で修行を指す。
根本をしっかりと捉えて、末節に走るなということです。…

つまり本当の事さえすれば、それを人が知るとか知らんとか、功徳がどうの、神通がどうの、そんなことは問題ではないのです。

…しかるに、この本を捨てて末を追うものだから、何時までたってもこれにいき着かない。
ただ末末と末ばかり追うて、それでとうとう日が暮れてしまう。…

『ただ本を得て末を愁うることなかれ』と工夫することが最も大切なことであります。

澤木興道[禅談]「ただ本を得よ」より)


※『ただ本を得て末を愁うることなかれ』は証道歌の一節

「覚触」という語を、この本で知った。この上なく重要な語だが、分かるように書いてある本はほとんどない。






目が、オレはカシコイのだけれど、位が低いとも思わず、眉はオレは役なしだけれど、位が高いと思わぬ。---仏法の生活とは、この不知の活動である。

 山だからというて高いと思わず、海だとて広いとも深いとも思わず--- 一切合財、不知の活動じゃ。

 野鳥自啼花自笑、不干岩下坐禅人---野鳥は坐禅している人に、ひとついい声を聞かしてやろうと思って鳴くわけでもなく、花も人に美しく思ってもらおうと思って咲くのではない。

坐禅人も、悟りをひらくために坐禅しているのではない。

 みなただ自分が自分を自分しているのである。

(「澤木興道老師の言葉 禅に聞け」櫛谷 宗則編)


※画像は安泰寺HPhttp://www.antaiji.dogen.de/より

https://philosophy.blogmura.com/buddhism/にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ