本題に入る前に、今日観たDVDの感想を一言。
「オーメン666」中佳作。
娯楽作品として悪い出来ではないが…リメイク企画にはオリジナルを超えられない構造的問題があるのかもしれない。
さて本題。
「生の無価値にして厭うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、インド思想と共通な涅槃を説きながら、その基調においては悩しき青春の爛熟期の哲学である。」
( 三木清「語られざる哲学」)
ショーペンハウアーについての現在も続く、わけの分からない紋切り型批評の典型がここにある。
生の無価値にして厭うべきことを説くことと、疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルで数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅することは、必ずしも矛盾しない。
生の無価値にして厭うべきことを説く理由は、それを事実だと知ることが涅槃に至る道の入り口だからだ。
青春の哲学の涅槃を説くことが矛盾だとも、おれには思えない。
※三木清「語られざる哲学」は
http://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/1072_22575.html参照