哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人は行いによって義とされる

マルティン・ルターが価値を認めず正典から排除した「ヤコブの手紙」が、おれは好きです。(後に、正典に戻される)


自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
ヤコブの手紙1・22より 新共同訳)

わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
(2・14)
あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。
ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。
神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。

(2・19~21)
人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
(2・24より)




わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。
あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。

(1・2~4)
わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
人の怒りは神の義を実現しないからです。

(1・19,20)




あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。
そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。
心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。

(1・5~8)
得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
(4・2,3より)






DVDを観る
「佐賀のがばいばぁちゃん」秀作

内容も良かったが、DVDの特典映像が充実していて2度楽しめる。