※『バガヴァッド・ギーター』
荘厳なるものの歌、の意。
ヒンズー教の聖典の一つで、人格神への信愛の道を説く宗教哲学詩。
古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」に取り込まれている。(大辞林)
「心によって自己を向上させるべきであり、自己をおとさしめてはならない。
心こそは自己の友であり、また心こそ自己の敵であるから。」
(バガヴァッド・ギーター6・5宇野 淳訳)
「自ら心に打ち勝った者にとって、心は自己の友である。
しかし、心に打ち勝たない者にとって、心は敵のように反抗する。」
(同6・6)
釈尊のことばと、ほとんど同じである。
釈尊も
「心は人に従うべきで、人は、心に従ってはならぬ。」
と説きました。
『自己の主人は、自己自身である。他に主人があろう筈がない。自己を制してこそ、得難い主人が得られるのである。』
(釈尊 仏教聖典 法句抄17)
「母も父もその他の親族も、正しく向けられた心が自分のためにしてくれるほどの益をしてはくれない。」
(ブッダの感興のことば31・10 中村 元訳)
「憎む人が憎む人にたいして、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪(よこしま)なことをめざしている自分の心が自分に対して自分でなすほどには、それほどひどいことをしない。」
(同31・9)
次の教えには衝撃を受けた。
「おまえの関心は行為のみにあり、決して行為の結果にあってはならない。…
結果を(行為の)動機とする者はあわれむべき者である。」
(バガヴァッド・ギーター2・47.49より)
おれにはとうてい守れない教えだ。
しかし、困ったことに、一度聞いてしまうと忘れることもできなくなる。