哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

無明


『(盲目の)意志』は無明だ!


ショーペンハウアーを読んで、初めて釈尊の説く無明が分かった気がした。

自分にとっては、興奮する発見だった。

それまで、仏教の解説本を読んでも納得できないでいたのだ。

数十年後、次の文章をネットで見た。
それが、とっくの昔に言われていたと知って、ちょっとがっかりした。

http://page.freett.com/mishima/tsuda-2.htm参照。
該当部分を以下に引用する。
(…木村泰賢先生が無明の概念をショーペンハウエルの盲目意志の概念に引きつけて「生きんとする盲目的な、元本的な意志である」とされましたね。当時新進気鋭の和辻哲郎先生がそれに反発された、「無明は単純に不知 Nichtwissen の意」であって、それ以上の何ものでもないのだ、と。これはもちろん木村先生のほうが正しいんですが、論争の決着がつく前に、木村先生が亡くなってしまわれたので、和辻先生の説が学界の絶対権威となり、それ以後のいわゆる近代仏教というものは、仏教という思想の生命の部分をつかみ取ることができなくなって、それが今日まで続いている・・・・・。 )

無明が単なる無知であるはずがない。それでは、現にある人間と世界が、現にあるようには理解できない、とおれは思っていた。

「無明は単純に不知…仏教という思想の生命の部分をつかみ取ることができなくなって、それが今日まで続いている」…まさに我が意を得たり、という内容で、驚いた。





DVDを観る
プルーフ・オブ・マイライフ」上佳作。
最初、秀作と書いて、上佳作になおした。おれは数学者の話が好きなので、評価が甘くなる。内容は、表題の「人生の証明」には、あまりなっていない。しかし良い映画だ。次は日本映画の「博士の愛した数式」を借りて、見比べてみよう。

下妻物語」上佳作。計算されたはちゃめちゃぶり。