哲学日記

 いつくたばってもおかしくない爺です。存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

スマナサーラ長老 ウェーサーカ祝福法話〔四聖諦〕

 

 このあいだ町内真宗寺院の「花まつり」を見に行った。花まつりとはウェーサーカ祭のことだ。本堂からインディーズバンドが盛んにリハしてる音が聞こえてる。本堂入口手前で甘茶のふるまいがあり、生まれて初めて飲んだ。薄い麦茶かコーン茶みたいで上品な味。ブッダの「天上天下唯我独尊」小ブロンズ像に、わけてもらった花一輪を捧げ、用意された小柄杓で甘茶をかけた。これをやりたかったのだ。死ぬ前にブッダ誕生祭に参加できてうれしい。

 

テーラワーダ仏教のウェーサーカ祭にも参加したいが、もう無理。youtubeスマナサーラ長老の御法話が聴けるのがなんともありがたい。

 

概要欄より引用させていただきます。

日々の人間関係において、人々が集まれば互いに意見が違い対立もあります。自我を張らず、慈悲を実践するのが基本と思われますが、一人ひとりが対立せずに「アラナ(無諍・平和)を実践するにはどうしたら良いのでしょうか? ブッダの教えが現代まで残っているその秘訣と、比丘サンガの中でも大事にされている「和合」という生き方について。そして、人々が和合して生きていくために必要なこと、和合とはどのように実践するものなのか、人々や組織が継続するためにどうして和合が重要なのか、といったポイントについてお話しいただきました。

お釈迦さまの祝福 平和に達する生き方|スマナサーラ長老の関西ウェーサーカ祝福法話(24 May 2025)#jtba #vesak2025 #buddhajayanti


www.youtube.com

 

スマナサーラ長老の言葉を引用させていただきます。

人間はワンパターンでものを考える…

マンネリで、パターンで、文化がある…

パターンがあった方がみんな安心するんですね
だから革命者じゃないね 

革命者でないと悟れません

だからこんなに明確に、手のひらの上で真理語ってるのに、皆悟らないんです

(以上。強調処理は私です)

 

 

[感想]

 人生の目的は「存在の意味」を明らめることにあるとおもう。
しかし、大多数の人々は存在の何が問題なのかさえ自覚的には知らない。存在問題はないことになってる。
なんとなくは感じてるが、自覚的には知らないという厄介な状態だ。


ブッダの「四聖諦」は、世界に類を見ない真に革命的で、しかも端的判明な教えだが、初手の苦の聖諦からして体得する人がほとんどいない。

内容が難解だからではなく、獣本能でスルーしてるからだ。(顛倒衆生衆生自秘)

おれも体得できてないが

聴くたびに新たな感銘を受ける。

 

 

(ブッダのことば スッタニパータ724~727 中村元訳)

より引用させていただきます。

  苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、また苦しみの止滅に達するかの道をも知らない人々、──

 かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。

かれらは(輪廻を)終滅せしめることができない。かれは実に生と老いとを受ける。

 しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起を知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの止滅に達するかの道を知った人々、──

 かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。

かれらは(輪廻を)終滅せしめることができる。かれらは生と老いとを受けることがない。
(引用終)

 

後世、「四つの尊い(聖なる)真理」〔四聖諦〕
として定型化されたブッダ獅子吼ししくです。

 


十二支縁起は集諦滅諦に含まれます。


ブッダは一生かけて
四聖諦だけ
を説き続けた。

手を替え品を替え、ありとあらゆる工夫で《対機説法》

ブッダは弟子達に
四聖諦だけが役に立つ。

四聖諦だけに専心しなさい。
と何度も教えてる。

ブッダその人によって四聖諦の教えこそ全分の一切であると、これほどはっきりと(くり返し)説かれているのに、ブッダ入滅後100年頃から信者達はブッダに仮託して作った枝葉末節のうすぼんやりした大量の教えをその上に次から次へと覆い被せて宝を隠してしまった。
それで焦点のズレた決め手にならない修行やあいまいな信仰が次々流行り廃れたあげく、仏法は衰退した。なんのためにそんな愚行がなされたか。

 

四聖諦
苦の原因(集諦)によって苦は生じている(苦諦)。

苦を滅する原因(道諦=八正道)によって苦は滅することができる(滅諦)。

 

一切皆苦ブッダの教えの出発点だ。
ここにまず立たない者には、そもそも仏教が始まらないという意味で、ブッダの教えの事実上の核心でもある。
おれは苦聖諦が仏教の正門であり、世界に比類のない尊い宝物だとおもってるので、今まで繰り返し繰り返し記事にした。いささかクドイかなと心配しつつも。
理解が広まった気配は……一向にない。明々白々の眼前の事実を、衆生自秘の分厚いベールが覆い隠してるからだ。大多数の人間は、苦を苦と知らず、苦を夢中でむさぼってる。

苦に夢中なら苦から解脱できるわけがない。

まあ、これ最初からわかってはいた。おれ自身が眼高手低で、欲にもてあそばれ、もがいてんだから…

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

Here, There and Everywhere - The Beatles 1966年【和訳】ポール・マッカートニー(ライブ)


www.youtube.com