哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

望まないのに必ず老い病気になり死ぬ君は、ほんとに幸福か?

 

 本能は、生きものすべてに、その身体を「俺、俺のもの」と信じさせる。
俺のものなら必死で守るからだ。
そのくせ、用が済めばポイ捨てされる。
すべての生きものが、誰も望まないのに、必ず老い病気になり死ぬ。
はなっからそういうプログラムなのだ。

さあいよいよ死ぬという瞬間に君は思う。

俺…何を守ってたの?

 

学生ドータカが釈尊に訴えた。
ブッダのことば5・6 1063,1064 中村 元訳)より引用させていただきます。

(学生ドータカ)
…あまねく見る人よ。
わたしはあなたを礼拝いたします。
シャカよ。
わたしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。


釈尊
ドータカよ。
わたしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させえないであろう。
ただ汝が最上の真理を知るならば、それによって汝はこの煩悩の流れを渡るであろう。
(引用終)


他に方法はない。

自分を救えるのは自分だけだ。

自分でやる以外ない。

絶対ない。


師は答えた、
(同ブッダのことば5・6 1068 より引用させていただきます)

ドータカよ。
上と下と横と中央とにおいて汝が気づいてよく知っているものは何であろうとーーそれは世間における執着であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない

(引用終)

 

 

だから、その本能プログラムに真っ向から逆らえと。

具体的に、どうするか。

ブッダの感興のことば26・17 より引用させていただきます)

見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば、苦しみが終滅すると説かれる。
(引用終)

 

サティの実践・ヴィパッサナー瞑想をしろと。

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

解脱の喜び――釈迦牟尼仏陀歓喜の言葉」を読む|スマナサーラ長老の釈尊祝祭日ウェーサーカ記念法話(16 May 2021 ゴータミー精舎


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動画概要欄より引用させていただきます。

 

23:40 Gahakārakaṃ gavesanto dukkhā jāti punappunaṃ

家の作者を探し求めて。更に更にと、生まれ変わるのは苦しいことである

 

25:01 Gahakāraka, diṭṭho'si puna gehaṃ na kāhasi

家の作者(渇愛)よ、汝の正体は見られたり。汝が家屋を作ることはもはやあるまい

 

26:03 Sabbā te phāsukā bhaggā gahakūṭaṃ visaṅkhitaṃ

汝の梁(煩悩)はことごとく折れ、家の屋根(無明)は壊れてしまった

 

26:53 Visaṅkhāra gataṃ cittaṃ taṇhānaṃ khayam ajjhagā

形成するはたらき(行)から心は離れ、渇愛を滅ぼし尽くした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs) 

「にんげんっていいな」をハードロックアレンジしてみた


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(過去記事編集再録)