佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その47」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube
[感想]
ブッダは、何千年も前に
これ以上望めない明晰判明さで
無我(自我など無い)
を説いてる。
「AI はやがて自我を持ってしまうのか?」という世人の不安は、人だけに自我があり、それこそが、人が人たるゆえんであるという世間の頑固な妄想から発せられてる。
自我などハナから存在しないから、その存在してない自我を、AI が持つことなどできるわけない。
ただ愚かな人間が、自分達の妄想をAI に投影し、AI にも自我があるとみなすにすぎない。そうしておいて、それを恐れてる。自作自演の狂愚行だ。
今話題の人工知能「チャットGPT」は、これっぽっちもものを考えていないのだ。ある言葉(例えば「古池や」)の次に、何億何兆のビッグデータをサーチして、確率的に一番もっともらしい言葉(「蛙飛びこむ」)を拾って、並べる。基本的にこの単純作業を繰り返すだけで「古池や蛙飛びこむ水の音」全体の意味など一切考えてない。
これを「AI がついに自分で勝手に考えて答えるようになったぁ!」と、世人が妄想してるに過ぎない。ここでも自作自演の狂愚行だ。
これを逆に見れば、はからずもAI 発展の副産物として、世人の「自我」や「思考」の正体が、もともとこの程度のものだというお粗末な事実が、露わになったといえる。
しかし世間はこれからも傲慢に、自分たちのお粗末は棚に上げて、AI に自分たちの苦しみの基である捏造プログラムをインスコし、妄想を爆増させ、人類滅亡の日まで、加速度的に下達してくだろう。