哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

この世の中に 泣かんならんような事は、 なんにもあらへん

(My Favorite Songs)  

岩崎宏美
「月見草」

この人のコンサートは何度か行った。

会場では、この曲をアカペラ、ノーマイクで歌う。
澄んだ生声がホールの隅々まで響き渡る。
(想像してくださいよ)
 
初めて聴いたときほんとにゾクッときた。

 

 

 

 


悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。
悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。

ブッダの真理のことば15・198 中村元訳)

(むさぼ)っている人々のあいだにあって、(うれ)い無く、大いに楽しく生きよう。
貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮らそう。

(同199)

(うら)みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。
怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮らしていこう。

(同197)





 これは世間の定番キャッチフレーズ「泣いて暮らしても一生、笑って暮らしても一生、同じ一生なら笑って暮らそう」という、できもしないやせ我慢と同じではない。

そうではなく、

 

この世界に、

泣いて嘆くようなことは

なにひとつも起きない

 

のに、凡夫が勝手に錯覚して子供のように泣き喚いてるという覚醒者の共通認識をブッダと出家弟子達が確認した記録だとおもう。

ブッダのことばは、ただの
 
思考の切替え
 
ではなく
 
思考の仕方の切替え
 
をしなさいと勧めいるのだ。

 

 

このことについて思い出すことがある。 

 
 昔、坐禅しに短期間通っていた名古屋の尼寺で、澤木興道老師の新刊伝記をいただいた。
 (『沢木興道聞き書き ある禅者の生涯』酒井得元著) 
 
帰宅後読み始めたら、老師の波乱万丈の実話があまりにも面白くて最後まで一気読みしてしまった。
老師は、幼い頃からものすごい辛いヘビーな体験をなんどもしている。
その上、戦争にもかりだされ、並の人間なら気が狂うか死ぬかという地獄をかろうじて生き抜いている。

 

その老師が、ありえないことに

この世の中に
泣かんならんような事は、
なんにもあらへん
 
と断言している。
もちろん、やせ我慢じゃない、かっこづけじゃない、嘘じゃない、誠実な老師が体得したありのままの事実をそのままに伝えているに違いない。

 

おれのような小心者には理解しがたい言葉だが、それでもこの言葉、決して忘れることはできないのだ。

 

 

なあに世の中に幸福もなければ不幸もない。夢のなかで別嬪に惚れられておるか、振られておるかというだけの違いである。覚めてみると何もない。ああウソだった。 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

喜納昌吉&チャンプルーズ
「花~すべての人の心に花を~」


花 喜納昌吉 with 久保田麻琴

ろくでもない世の中だから、
笑って生きようよ。

 

 

 

(過去記事統合増補編集再録)