哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

(捨)認識と感情は一体ではなく、切り離せる。

一昨日の記事

「六境六根への執着が人を苦しめる。ジャニスの絶唱 Ball and Chain」

で最後に〔黒牛と白牛の喩え〕を紹介しました。

同じ〔黒牛と白牛の喩え〕をとりあげた佐々木閑先生の分明な仏教講義

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その6」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube

が今日(14日)アップされました。是非お聴きください。

 

※注

〔黒牛と白牛の喩え〕は、サーリプッタが教えを説くこの「コッティカ経」にもあるし、在家聖者チッタが出家長老達に説法する「束縛経」にも出ている。

www.youtube.com

 

〔メモ〕

認識と感情は表裏一体のものではない。

ブッダは、
感情と切り離された認識(捨)
を得るためのトレーニングを薦める。

 

 

 

 

じつは、昨日の記事で紹介した、

怒りから自由になる様々な教えも

要約すれば、このの一語に納まる。

 

の体得は

容易ではないが、

本気になれば可能だと

ブッダが明言してる。