哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ダメな自分を、ストレートに告白できる社会が、良い社会

 

過去記事で、自分のことを、こんな風に告白した。

  

おれは生まれついての馬鹿者で、あらゆる誘惑に簡単に翻弄されてしまう。

 
おれはなにをやっても中途半端で止めてしまう。

意志の弱いヘタレ野郎で、すごく気が小さい。

なのに、欲深だ。

今まで犯罪は犯さずに済んできたが、それはほんとに運がよかっただけだ。

やることなすこと最低の卑劣漢で、誠実さも勇気もかけらもない臆病者だ。

 

 

 

 
 
以前読んだ本
「坊主失格」小池龍之介
の前書きに、こう書いてあった。

 
 小さい頃は担任教師から「ろくでなし」の烙印を押され、十代は太宰治にかぶれて、道化を演じながら腹の中では周囲の人間を嘲笑する屈折した思春期を送り、大学時代は理論武装して相手をやり込めては喜ぶイヤな奴。結婚すれば相手をいじめ、しまいには暴力までふるうようになり、道ですれ違った人に無意味で馬鹿げた言葉を投げかけ、その反応を見て喜ぶハタ迷惑でおかしな人間━できればお付き合いをご遠慮願いたい人間。それが私でした。

(引用終)

 
 
 
 
ダメな自分を、ストレートに告白できる社会が良いなとおもうのだ。

 
 


ダメな自分を隠して

 

「立派な」公的タテマエ

服従しないと

暮らせない社会

 

に平安はない。

 
社会から平和が消滅する一番明白な徴は、個人がダメな自分を正直に表現して、それを周りの大多数の人々が、自分のことは棚に上げて、公的タテマエで非難しだすことだ。

かっての、戦争前夜の日本社会を想像すれば容易にわかる。

 

最近の日本社会は、そういう意味での寛容力が年々減衰して、このままなら遠からずダークゾーンに入るとおもう。

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)

Gilbert O'Sullivan - Alone Again (Naturally) - 1972 - YouTube

 

アローンアゲイン(ギルバートオサリバン)を日本語訳して歌ったらとんでもないことに! - YouTube

www.youtube.com

 

(過去記事増補編集再録)