哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

あるのは因果法則。ないのは「自分」で生きてみる実験

あるのは因果法則、ないのは自分ーー瞑想で我執を強めないための呪文|スマナサーラ長老の切り抜き法話【字幕付き】 - YouTube

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「自分」という複雑そうで得体のしれないマジックも、

実のところ「自分」はただの記号に過ぎない

という、ブッダのネタばらしを理会体得した

 

瞬間(とき)

あまりの他愛なさに、誰もがあきれ返ることだろう。

 

これが仏教の答え合わせ。

もちろん

悟ってないから、

今は仮説にすぎないけど、

 

仮説の検証は

今ここ

すぐ始められる。

 

 

この検証、場合によっては、

人生かけた長期実験になる。

 

しかし実験中にも

一定の効能が期待できるから、

たとえQ.E.D.に辿りつかなくても、

(辿りつかない人多数←いちいち言わんでいい)

検証過程自体に価値がある。

 

本気出せば、だれでもやれる。

 

 

 

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

ないのは自分

 

これを肯定表現に変換すると

 

すべては自分

 

となるかもしれない。

 

というのも、おれは昔、

誰と会っても


この人は自分だ

 

と感じる不思議な体験をしたからだ。

それを何回か記事にしてるが、

最近のを以下にコピペしときます。

 

 

 もう40年以上昔になるが、まだ坐禅したことも瞑想したことなく、ヴィパッサナーという言葉さえ聞いたこともなかった頃、おれはおもいきり奇妙な体験をしたことがある。

 

それを過去記事で
 
…人生の問題で非常に煩悶していて、それが限界に達した時、突然「自分は死ぬ定めだ」と自覚した。
「人は死ぬ。自分もやがて死ぬ。誰でも知ってる常識だ」といったこととはまるっきり違う強烈な体験だった。
それから1年くらいは何を食べて生きてたのか記憶がない。
周りの全てが違う感じだったが、不思議なほど不安はなかった。
「一時的な”解脱”症状」
 
と書いた。

 

 

周りの全てが違う感じだったが、不思議なほど不安はなかった。←これについて、憶えている事をもう少し具体的に書いてみる。

 

 

 

 

 

 

 部屋の中でソレが起きた直後、たまたまテレビにアップで映ったタレントを見て
この人は自分だ
と感じた。
そのタレントが当時の自分より十歳以上も年上で、おまけに女性だったのにだ。(まあ、その人は大女優・若尾文子さんだったんですが)
その後、誰と会っても、口に出さなかったが
この人は自分だ
と感じる。
あの時、
もし誰かに理不尽に殺されたとしても、その人に敵意はもてなかったとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(やばい!ついにおれは頭がおかしくなった!)と、もちろん焦ったが、それが意識のほんの表皮でパニくって思ってるだけで、その下の心全体はドーンと落ちついて「不思議なほど不安はなかった」のだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ターン・プッタタート 技法によって悟る」より、この奇妙な体験と関係するとおもわれる箇所を引用させていただきます。

 

 

 

 

 

未だかつて味わったことのない、そして説明のしようもない喜び、幸福が生じ、その人を異常なほど満足させます。
なぜならその時、体と心がすごく幸福で、いろいろな悩みは心から消え去り、以前愛していたものを思い浮かべても愛しくなく、憎んでいたものを思い浮かべても憎くなく、恐れていたもの、ぞっとしたもの、いろいろ気掛かりで心配だったことを思い出しても、そのような感情が生じてこない…
だから自分は、すべての煩悩から解脱したと勘違いをしてしまいます。なぜならその人の心は、そういう状態でいる間だけ、本当に煩悩から解脱した人と、一時的に同じ状態、あるいは同じ症状になるからです。もしそのような状態に満足してしまったら、それだけでヴィパッサナーの上達の道は断たれてしまいます。
そして幾らもたたないうちに、そのような状態は薄らいでいきます。以前恐れていたことに再び恐れを感じ、愛していた物は、前と同じように愛しく感じます。何でも元の状態に戻り、以前よりひどくなることもあります。
(引用終)

 

 

 

 

 

 

体と心がすごく幸福で、いろいろな悩みは心から消え去り、以前愛していたものを思い浮かべても愛しくなく、憎んでいたものを思い浮かべても憎くなく、恐れていたもの、ぞっとしたもの、いろいろ気掛かりで心配だったことを思い出しても、そのような感情が生じてこない」←まさにこのとおりの日々。

 

 

 

 

 

自分は、すべての煩悩から解脱したと勘違いをしてしまいます。」←恥ずかしながら、思いっ切りしてました。

 

 

 

 そういう不思議な非日常状態が1年くらい続いた後は急速に日常が戻ってきた。戻るのが嫌だったんでずいぶんと抵抗もしたが、不可逆的な力って感じでどうにもならなかった。

 

 

 

幾らもたたないうちに、そのような状態は薄らいでいきます。以前恐れていたことに再び恐れを感じ、愛していた物は、前と同じように愛しく感じます。」←これもだいたいこのとおり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常世界に戻ってから、あの強烈な実感は日々消え去っていくが、おれは今も確かに知っている。
 
誰を見ても
 
この人はもう一人の自分だ
 
と感じる時
 
心は絶大な平安に満たされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、おれはかなりの人見知り。
気後れしそうな偉い人や、ちょっと苦手な人と会わなきゃならない時に、
この人は、もう一人の自分だ
と無理くりでも思ってから話し出すと、驚くほどスムーズに回っていくことが多い。
あの奇妙な体験は、こういう形でも有効活用できるわけだ。

 

 

 

 

 

良かったことは他にもある。
人々が重要視するが実はくだらない多くのことから、それ以来だいぶ自由になれたこと。

 

 

しかし、ちょっとだけ困惑してることもある。
へんに気持ちが緩んでしまい、何をやっても真剣に悩めず必死さがなくなったこと。
以前よりひどくなることもあります。」というのはこのあたりか…案外、致命傷を負ってしまったのかもしれないのだが、これとて正直たいして気にしていない今の自分が居る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

The Dirty Mac - Rock & Roll Circus Outtakes (December 11th, 1968, Restored) - YouTube

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