哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人間だけが死ぬと知ってる?[俺は死なん]とおもってるのに?

【衝撃】かまいたちが一番衝撃的な話を決定! - YouTube

14:18頃★「人間だけ知ってること」

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「人間だけが、自分は死ぬことを知ってる」

 

ほんとに知ってるか?

 

知ってるわけないだろ。

 

脳は死を理解できないんだから。

「自分」に死などあり得んと

頑なに信じてんだから。

 

《仏教哲学》生を直視する人は「死」を発見する スマナサーラ長老との対話|ブッダの智慧で答えます(一問一答) - YouTube

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大多数の人々は、
死をあの世に引越すことだと共同幻想し、
生涯一瞬たりとも死の事実を直視しない。
 
真昼の煌煌たる太陽のような明々白の事実なのに、
そのあまりの眩しさに目を本能的にそらせる。
 
 
 
 
人間が自分は死ぬ定めだと本当に認めれば、人間は自由になり世界は平和になる。

 

ブッダは明解に説いてる(ダンマパダ6

しかし、著名な知識人も含む大抵の人間は、自分が死ぬ定めだと認める恐怖から意気地なく逃げて「自分に死などありえない」という我有妄想に昔も今も取り憑かれてる。
だから自我の牢獄から自由になれず、世界中で殺し合いが止むことがない。
殺す者と殺される者が、同じひとつの愚かな妄想を共有して仲のいいこと。

これで、世界中の賢が、国連なんかで集まって、殺し合いだけ止めたいなんて言ってるんだけど、
 
 
 
 
 

       無理!

 

 

 

ブッダの真理のことばDh.6 中村 元 訳)

「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。
――このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

(強調は私です)

 

 

 

 

 

 

 知っていますか? 人々は本当に価値あるものに価値がないと思い、価値がないものに価値があると思う。評価すべきものは評価せず、批判すべきものを賞賛する。意味あるものは無意味だと思い、無意味なものに意味があると思ってしがみつく。

 「私はそんなことはしていない」と思われるでしょうが、実はそうではありません。皆同じです。真理をありのままに知ることができるのは、悟りを開くときだけです。ありのままに物事を観て生活するのは、悟った方々です。悟りという認識革命を起こしていない限り、我々の認識はあべこべです。仏教用語で顛倒(vipallâsa)といいます。

 すべてのものは無常です。しかし我々は、すべてが変化しないもの(常)だと勘違いして、ものに執着したり、あらゆる計画を立てたり、期待、願望、切望したりします。期待がはずれたら悩み苦しみが生まれるのに、一向にめげない。それで苦しみが続くのです。体は不浄なものなのに、とてもきれいなものだと思って、限りなく苦労する。自分というものには実体がなく、あらゆる部品で一時的に組み立てられたものなのに、それも常に変わっていくのに、「自分という実体がある」と思い込んでいる。皆、死んでしまうのに、絶対認めない。死なないという前提で生きることは、やりきれないほど苦しいことなのに、ありのままの事実を認めない。

 このように認識があべこべだから、価値観もあべこべです。死にものぐるいで勉強して知識を得ても、金を儲けて財産を築いても、贅沢に溺れていても、死ぬときにはすべて捨てるのです。
生きているというプロセスは、持つ者にも持たざる者にも同じです。
持つ者には持つことで苦しみが生じ、持たざる者には期待で苦しみが生じます。
(引用終)
 
 
 
人間は全員煩悩中毒者だ。それも重症の。
人類は「俺・俺のもの」病に、何百万年も長患いしてる。
だから、いじめも戦争も決してなくならない。
 
スマナサーラ長老の素晴らしい法話から、
ちょっとずれるかもしれんが、
ぜひ言わせてほしいことがある。

 

ブッダはすべての人を救うことはせず

私がしなかったことは、しなかったとせよ

と教えた。

その理由についてだ。

 

 

 

 

 昔も今も
 
ひたすら生きんとする盲目意志
 
が、大多数の人々の崇めてやまない神だ。

不滅の魂や大我や唯一絶対神やらは
そのための道具にすぎない。

世界のすべての宗教もとっくにその道具に劣化変容し終わってる。

 
「生きんとする盲目意志」とは「けもの本能」のことで、
人間は大脳作用による理性の薄皮1枚でこの「けもの本能」をコーティングして、
見た目ピカピカの別物に見せてるにすぎない。

理性は、
盲目意志に誘惑され、説得され、
結局ほぼ常に屈服する。
 
この奴隷理性によって、
地獄に生まれても、
地獄に生まれて最高!
とおもうようにできてる。

 
 ほとんどの人は、五蘊の奴婢であり、
ただ日々を気楽に生きていければ満足だとする煩悩中毒者だ。


「生きんとする盲目の意志」
を全否定する無常・無我はもちろん、
死という、
見誤りようなき鮮鋭な事実さえも、
かれらは容認しない。

各々
自分は死んでも生き続ける
とおもってる。

 
 
真理を過重に押しつければ、
グレてファシズムに落ちてしまう。

最悪の結果をまねくだけだ。



だから、
ブッダはすべての人を救うことはせず

私がしなかったことは、しなかったとせよ

と教えたのだとおもう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
 
(過去記事統合増補編集再録)