「無常・苦・無我」って変じゃないですか? スマナサーラ長老の初期仏教Q&A|ブッダの智慧で答えます(一問一答) - YouTube
Q:無常・苦・無我とされる理由
無常・苦・無我の三相についてお聞きします。
無常であり無我であるならば、「苦」という感覚は生じず、反対に「楽」という感覚も生じない気がしています。
無常・不苦不楽・無我であるなら、腑に落ちると思うのですが、お釈迦様がことさら「苦」を強調するのは何故なのでしょうか?
無常で無我なら、苦はないはずでは?
そりゃそうだ。
誰も彼も
そうなってないから。
無常を真実認めないから
苦が現れてる。
誰も彼も
貪瞋痴の奴婢で
煩悩中毒者だ。
無常も無我も
蛇蝎の如く嫌ってる。
嫌う方向が逆!
だから
そんな者達には
苦がまさにある。
よそ事じゃない。
ブッダは説かれた。
無常→苦→無我と。
宮沢賢治晩年の詩「疾中」
より引用させていただきます。
病中
これはいったいどういふわけだ
息がだんだん短くなって
いま完全にとまってゐる
とまってゐると苦しくなる
わざわざ息を吸ひ込むのかね
……室いっぱいの雪あかり……
折角息を吸ひ込んだのに
こんどもだんだん短くなる
立派な等比級数だ
公比はたしかに四分の三
睡たい
睡たい
睡たい
睡たいからって睡ってしまへば死ぬのだらう
まさに発奮努力して
断じて眼を!眼を!!眼を!!!ひらき
さやう
もいちど極めて大きな息すべし
今度も等比級数か
こいつはだめだ
誰に別れるひまもない
もう睡れ
睡ってしまへ
いや死ぬときでなし
発奮すべし
眼をひらき
手を胸に
……母はくりやで水の音……
[引用終]
形(色)・受・想・行・識を死ぬまで堂々巡りする人間の愚行を、根本的に解決するブッダの獅子吼が残されてます。
色は無常なり。
無常なるは即ち苦なり。
苦なるは即ち我に非ず、
我に非ざるは亦我所に非ず。
是の如く観ずるを真実の正観と名づく。
是の如く受・想・行・識は無常なり。
無常なるは即ち苦なり。
苦なるは即ち我に非ず、
我に非ざるは亦我所に非ず。
是の如く観ずるを真実の正観と名づく。
聖弟子、是の如く観ずれば色を厭ひ受・想・行・識を厭ふ。
厭うが故に楽はず、
楽はざるが故に解脱することを得。
解脱すれば真実の智生じ、我が生己に尽き、梵行己に立ち、所作己に作し、自ら後有を受けざるを知る。
(雑阿含経1)
(My Favorite Songs)
【和訳】Logic - 1-800-273-8255 ft. Alessia Cara, Khalid - YouTube