哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

托鉢するブッダと労働する農夫の対話

(スッタニパータ1・4概略) 

 

あるときブッダは、托鉢(たくはつ)に出て、手広く農業を営んでいるバーラドブァージャというバラモンに近づき、そばに立った。 

 

バーラドブァージャは、食を受けるために立っているブッダに告げた。

「沙門よ。わたしは耕して、種をまき、働いた後で食べます。 沙門よ。あなたもまた耕して、種をまき、働いた後で食べるべきです」 

 

ブッダ

バラモンよ、わたしも耕して、種をまき、働いた後で食べるのです」

 

(バーラドブァージャ)

「あなたは耕作者であるとみずからいっておられるが、あなたが田畑を耕しているのを、わたしは見たことがありません。おたずねします。あなたが耕作者であるというわけを説明してください」

 

ブッダ

「信仰はわが播く種である。 苦行は雨。 知恵はわが(くびき)(すき)慙愧(ざんき)は鋤棒。 意は縛る縄。 念は鋤先と鞭。 身を慎み、口を慎み、食を慎み、真理をもって草を刈る。 柔和がわがいこいである。 精進努力がわが牛であり、安穏(あんのん)の境地に運んでくれる。 退くことなく、そこに至ったなら、もはや憂えることはない。 この耕作はこのようになされ、甘露の果を収穫し、いっさいの苦しみから開放される」 

 

バーラドブァージャはハッとした。 

(以上)

 

 

中村 元訳ブッダのことば〈スッタニパータ〉

1-4「田を耕すバーラドヴァーシャ」全文

 わたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はマガダ国の南山にある「一つの茅」というバラモン村におられた。そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結びつけた。そのとき師(ブッダ)は午前中に内衣を着け、鉢と重衣とをたずさえて、田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャが仕事をしているところへ赴かれた。ところでそのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは食物を配給していた。そこで師は食物を配給しているところに近づいて、一方に立たれた。田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師が食を受けるために立っているのを見た。そこで師に告げていった、「道の人よ。わたしは耕して播く。耕して播いたあとで食う。道の人よ。あなたもまた耕せ、また播け。耕して播いたあとで食え」と。(師は答えた)、「バラモンよ。わたしもまた耕して播く。耕して播いてから食う」と。(バラモンがいった)、「しかしわれらは、きみゴータマ(ブッダ)の軛も鋤も鋤先も突棒も牛も見ない。それなのにきみゴータマは《バラモンよ。わたしもまた耕して播く。耕して播いてから食う》という」と。そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは詩を以て師に呼びかけた。

 

76 「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、われらはあなたが耕作するのを見たことがない。おたずねします。──あなたが耕作するということを、われわれが了解し得るように話してください。」

77 (師は答えた)「信仰は種である。苦行は雨である。知慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)とである。慚は鋤棒である。意は縛る縄である。念は鋤先と突棒とである。

78 身体をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたくしは真実を草刈りとしている。柔和がわたくしの軛を離すことである。

79 努力がわが駄牛であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば憂えることがない。

80 この耕作はこのようになされ、甘露の果報もたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放される。」

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、大きな青銅の鉢に乳粥を盛って、師(ブッダ)にささげた。──「きみゴータマは乳粥をめしあがれ。あなたは耕作者です。きみゴータマは甘露の果報をもたらす耕作をなさるのですから」と。

81 詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。詩を唱えて得たものを、目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々の)生活法なのである。

82 全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪い行いを消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を望む者のための(福)田であるからである。

 

 

「では、きみゴータマ(ブッダ)よ、この乳粥をわたしは誰にあげましょうか?」バラモンよ。実に神々・悪魔・梵天とともなる世界において、神々・人間・道の人・バラモンを含む生きものの中で、全き人(如来)とかれの弟子とを除いては、この乳粥を食べてよく消化し得る人を見ない。だから、バラモンよ、その乳粥を青草の少いところに棄てよ、或いは生物のいない水の中に沈めよ。」そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャはその乳粥を生物のいない水の中に沈めた。さてその乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙りを出した。あたかも終日日に曝されて熱せられた鋤先を水の中に入れると、チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出すように、その乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙りを出した。そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは恐れおののいて、身の毛がよだち、師(ブッダ)のもとに近づいた。そうして師の両足に頭を伏せて、師にいった、

──「すばらしいことです、きみゴータマよ。すばらしいことです、きみゴータマよ。あたかも倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、方向に迷った者に道を示すように、或いは《眼ある人々は色やかたちを見るであろう》といって暗闇の中で灯火をかかげるように、きみゴータマは種々のしかたで法を明らかにされた。このわたくしはここにきみゴータマに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。わたしはきみゴータマのもとで出家し、完全な戒律(具足戒)をうけましょう」と。

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。それからまもなく、このバラモン・バーラドヴァーシャは独りで他の人々から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、まもなく、無上の清浄行の究極──諸々の善男子はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが──を現世においてみずからさとり、証し、具現して日を送った。「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえたた。もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。そうしてバーラドヴァーシャ長老は聖者の一人となった。

[以上]

 

 

 

おれは昔、初めてこれを読んだとき、ブッダが詭弁を弄していると思った。

 

 今、まったくそうは思ってない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ショッキング・ブルー
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