哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

あらゆる思想と神話は、よた話に過ぎない。

一切は妄執に適しない ヴィパッサナー瞑想のファイナルステージ|スマナサーラ長老の初期仏教テーマトーク(26 Dec 2021 ゴータミー精舎) - YouTube

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すばらしいブッダの獅子吼です。

一切の行の終点、修行の終点、究極の終点、人間・天人を超越する境地が、ブッダ智慧で簡潔に、しかも余すところなく、パーフェクトに説かれてます。

 

 

世間の有様。

12:39 何を探している?~さまざまな目的の提案1

34:00 何を探している?~さまざまな目的の提案2

 

 

〈感想〉

「無明」に鼻ずらを引き回されてる姿です。

無明が、単なる苦に関する無知なら、

苦を知れば治りますね。

しかし、残念ながら、

 

無明は、単純な苦に対する無知ではない

 

と、おれはおもいます。

 

ショーペンハウアーは「盲目の意志」といいました。

…自分が何を欲しているか知らないひたすらに生きんとする欲のエネルギーは、苦を苦と知りながら、苦に夢中になる。

 

「苦ですから、捨てなさいよ」

 

と教えても

 

「知ってるわ、それくらい。

人間なんて幻想なしで生きてけないんだよ」

 

と言われてしまう。

 

知ることが何の役にも立ってない。

のみならず、

知って、逆にもっと強くしがみつく。

 

苦を厭いながら苦を貪るので、

自業自得で、苦しみ続けて死にます。

それでもいっこうに懲りずに、

みんなこの生き方を繰り返す。

あなた、葬式に何度も出てますよね。

周りの残酷な結果を日々見て知ってるのに、

決して改めない。

 

これは、とうてい単なる無知ではない。

 

 

 

ブッダの解答】

1:15:00 

私がいるのでしょうか?~「私がいる」という幻覚

 

スマナサーラ長老の注意》

眼と色が「触れて」眼識が生まれる

のではなく、

眼・色・眼識(…意・法・意識)が

組み合わさることを「触」と言います。

 

 

1:33:54 一切の法を知る

 

1:44:52 揺らぎなき

 

1:47:54 究極の超越

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること