以前真理発見法「方法的信」について、次のように何度か書いた。
真理発見法には、デカルトの「方法的懐疑」以外に「方法的信」とでもいうべき道もあるはずだ。
「方法的懐疑」も危険だが、さらにその100倍も危険なのが「方法的信」だ。…
ヒンズーの聖者ラーマクリシュナが、キリスト教やイスラム神秘主義などを深く理解し得たのは、この「方法的信」の実践による。[以上]
200401「方法的信」より抜粋再録します。
仏道を信ずる者は、すべからく自己、本より道中に在って、迷惑せず、妄想せず、顛倒せず、増減なく、誤謬なきことを信ずべし。かくの如きの信を生じ、かくの如きの道を明らめ、よってこれを行ず。乃ち学道の本基なり。
(道元禅師 永平初祖学道用心集9)
おれは、これを方法的信と呼んでます。
科学実験における仮説のようなものです。
ただし、
自分の人生をかける命がけの仮説
ですけどね。
に逆回転させます。
わが心を存することなく、なし難く忍び難きことなりとも、仏法のためにつかわれて、しいてこれをなすべし。(同)
自爆テロなんかやる人の盲目的信心とは違う。
ちなみに、方法的信の前に方法的懐疑の段階があります。[以上]
ところが、おれが勝手に「方法的信」と呼んでいた手法は、アンセルムスという中世の神学者が
知らんがためにわれ信ず
とすでに主張していたことを最近知った。
(勉強不足です、ハイ(^^;))
これは
理解できることや論証できることのみを信じる立場ではなく、また、信じることのみで足りるとする立場でもなく、信じているが故により深い理解を求める姿勢、あるいはより深く理解するために信じる姿勢である
『ウィキペディア(Wikipedia)』アンセルムス→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%82%B9より引用
やれやれ、とっくの昔に言われてたんだなあ。
ちなみに、方法的信の持つ毒性をおもいきり弱めて宗教色と危険性を完全に抜くと、「科学的仮説」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E8%AA%AC参照
という方法になるとおもう。
ただし科学的仮説は、自分の心の探求にはほとんど無力。
これに飽き足りなくなった者は、嫌でも危険な方法的信に挑戦せざるを得なくなるだろう。
(My Favorite Songs)
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(過去記事統合増補編集再録)