哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

平常心是道

 

平常心是道びょうじょうしんこれどうは馬祖道一の名句です。

フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

より引用させていただきます)


若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。(維摩)経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只だ如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり。


 

 

自分を深く信じる人の言葉です。


(同引用)

迷いに対して悟りを説くのに、本より迷いが存在しないのならば、悟りも立てようがないではないか。一切の生きとし生けるものたちは、遥かな昔から、法性三昧の外に出ることがなかった。長い間、法性三昧の中にあって、服を着て飯を食い、話しをしたりといった具合いに生活をしてきたのだ。その、六根の運用、あらゆる行いが、ことごとく法性(=仏性)であったのだ。 … (会下の衆僧に対して)諸君、各自が自らの心に到達せよ、私の言葉を記録するな。

迷に対して悟を説くに、本より既に迷の無ければ、悟もまた立たず。一切の衆生、無量劫より、法性三昧を出ず。長く法性三昧中に在り、着衣喫飯、言談して祇に対す。六根の運用、一切の施為、尽く法性たり。 … 汝等諸人、各々自心に達して、吾が語を記する莫かれ。(以上、引用終)



この教えは、修行もしないで良いという「貪瞋痴そのまま主義」ではない。
「そのまま主義」は、各人の欲のまま、怒りのままでよいということで、どだい正しいわけないのだが、それにもかかわらず、古今東西多くの人が性懲りもなく嵌りこむ宿痾だ。

 

 

 

 

 

 

 

「平常心是道」は公案になっています。

南泉と趙州の問答。

 

(試訳)

趙州問う「どんなものが道ですか」

南泉云く「平常心が道だ」

州云く「平常心をめざすべきですか」

泉云く「めざすと、失敗する」

州云く「めざさなければ、

どうして道だと分かるんですか

泉云く「道は、分かるとか分からないとかではない。分かったと思っても、それは妄想にすぎない。分からないのはたんなる無知だ。もし本当に道に達すれば、あらゆる迷いはきれいさっぱり消えてしまう。こんな議論をする余地もないのだ」

趙州はたちまち悟った。

 

趙州問う「如何なるか是れ道」
南泉云く「平常心是れ道」
州云く「還って趣向すべきや否や」
泉云く「向わんと擬すれば即ちそむく」
州云く「擬せずんば争でか是れ道なることを知らん」
泉云く「道は知にも属せず不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不擬の道に達せば、猶太虚の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや」
州、言下に於て頓悟す。




趙州の的確な質問がさえてますね。

質問者はこうでないといけません。

師匠の南泉和尚も答える甲斐があったでしょう。

この時、南泉48歳、趙州18歳くらいとのこと。

趙州、言下に於て頓悟す…18やそこらで悟り開いちゃったわけですよ。

 

えらい簡単みたいだけど、平常心是道は、もう修行いらんという「そのまま主義」とは違うんですね、これが。

 

「平常心是れ道」を趙州、たとい悟るも、更に参ずること30年 。
(無門関第19)


悟った後の、この参禅30年はなんですか。

 

さらに60歳で、臨済の師匠である黄檗希運の下で修禅した。

120歳まで生きて日々唯一無二の禅を説いた。

 

趙州は甚深の仏法を日常平易な言葉で示し、

唇から光を放つと評された。

 

 

趙州を超えて法を継ぐ力量の弟子

は出なかった。

 

 

 その記録された言葉の多くは

今も公案となって活きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

アメリカン・ブリード。
「ベンド・ミー・シェイプ・ミー」

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(過去記事統合増補編集再録)