哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

炭火を蓄える穴のような人間の生存に苦悩する

[メモと感想]
 
未来をおもえば、誰だって不安になる。
 
未来のことを考えるのは、そもそも無知である。
 
未来とは、けっきょく過去の妄想でしかない。 
 
100%確実な未来がひとつだけある。
 
それは自分が死ぬこと。
 
ではどう生きるのかとプログラムすればよい。
 
 
[以上]
 
 
 
 
炭火を蓄える穴のような人間の生存
に苦悩する、仏弟子サッパダーサ長老の告白は生々しく強烈だ。
仏弟子の告白(テーラガーター)六つずつの詩句の集成より)

 

405.わたしは出家してから二十五年になるが、そのあいだ、指を一(ひと)はじきするだけの時間でも、心の静けさを得られなかった。

406.心の統一専念を得られなくて、快楽の欲情に悩まされて、両腕をつき出して泣きながら、わたしは住居から出て行った。

407.わたしは、小刀をもって来ようか?わたしが生きている必要があろうか?わたしのような人間は、修学を捨てて、どのようにして死ぬべきであろうか?
下の朗読8分ごろから。
 

 

 

 

 

 わたくしが山の洞窟に連れもなくただ一人住んで、いっさいの生存は無常であると感ずるのはいつのことであろうか。
わたくしのこの思いはそもそもいつの日に起こるであろうか。
で始まるテーラプタ長老の告白も正直で切実だ。

…厭わしいかな、厭わしいかな、心よ。そなたはわたしにさらに何をしようとするのだ。
…心よ。四種類の顛倒に支配されている世界のように、そなたはわたしを引き廻す。
 
 
 

 

 

 

 

 

(現代語仏教聖典 第10章「教化の種々相」第3節より引用)
 ブッダは説かれた。
……たとえば、飢えた犬に、肉のついていない血だらけの骨を投げ与えたとする。犬はその骨で、飢をみたすことができるであろうか。否、犬は、その骨によって、疲れと悩みとを得るだけである。……
余の弟子は、官能の楽(欲楽)をこの骨のたとえのごとく見る。正しい智慧によって、それは苦しみでありわざわいであることを如実に知る。よって、これに執着する心を捨てるよう修行するのである。……
欲楽は夢のごとく、醒むれば何ものでもない。……
(引用終)

 

 おれは、いくら教えを聴いても、如実に知ることのない「半わかり」状態から抜けられない。

欲楽は夢だと知りつつ、目の前に血だらけの骨を投げられるたびに、飛びついてはしゃぶってしまう犬のような人生から抜けられない。

 

 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
「19回目の神経衰弱」
You better stop, look around, 
Here it comes, here it comes, here it comes, here it comes. 
Here comes your nineteenth nervous breakdown.
(過去記事統合増補編集再録)