スマナサーラ長老の禅語提唱(十一)本来無一物 取り扱い注意の禅語 - YouTube
慧能禅師の説法集『六祖壇経』は、おれが見た禅書のなかでいちばんおもしろかった。
弟子の南嶽懐譲の法統から臨済宗、青原行思の法統から曹洞宗など、後の五家七宗全てが六祖の門から出る。
[感想]
五祖の優秀な弟子、神秀上座の偈頌。
身は是れ菩提樹
心は明鏡台の如し
時時に勤めて払拭せよ
塵埃を惹かしむること莫れ
それに対する新入り慧能の偈頌。
菩提本樹無く
明鏡も亦台に非ず
本来無一物
何れの処にか塵埃を惹かん
慧能の歌は「本来無一物」の一句だけが輝いている。
おれはこれまで、神秀上座は慧能に劣ってるんじゃなく、両者の立場の違いが、歌に現れただけとおもっていたが、
そうではなかったようだ。
スマナサーラ長老
(神秀上座は)修行のレベルでしゃべってるんですね。…
慧能は修行の結果をしゃべってるんです。…
(慧能は)もう合格しているんだから。もう卒業しているんだから、また受験勉強する必要ないんです。
境地が全然違うと。
まあそれはそうか。
五祖も慧能に法統を継がせたらしいし。
しかし、スマナサーラ長老は釘をさすことも忘れない。
問題は、俗世間がこの言葉にのっちゃって、俗世間で使用すると、とんでもないことになるんです。…それ凄い危険なことなんです。…
…坐れば仏やというところまでなる。そこで、まあ、すべってますよ。
そう!すべってる自覚。
これ死活的重要ポイント
だとおもう。
この言葉をきっちりと受けとめないうちに、続けて「無一物中無尽蔵」と聞いて、「ああ、そういうことね。分かった」と片づけちゃダメ。修行せずにこのままでいいという分かり方はアウトだから。
「本来無一物」は悟りの言葉。
聞いてすぐ「ハイ、分かりました」といくわけない。
「本来無一物」と聞いてドキッとし
「無一物中無尽蔵」でホッとして
「ハイ、分かりました」では、
元の木阿弥、
なにも分かっていないのだ。
(My Favorite Songs)
スコット&リバース。
(過去記事統合増補編集再録)