休憩終了。
ひとり鼎談ごっこ再開します。
司会者
では、…「人間だけが持つ根源的不安」についての話から続けてください。
仏教者
平均人の不安は、単純に挫折の予感といいかえられる。
それは、もとは自分の肉体が不完全であることを知り、その事実が人間にとって致命的なマイナスであると彼(彼女)が信じていることから来ていると思います。
肉体は常に飲食・排泄を必要とする。その必要を完全に満たしても、しばしば筋肉は疲れ身体は痛み病気は防げない。
病気から運良くまぬがれても、身体は不可避的に朽ち、時が至れば死が彼を滅ぼす。
彼はそれを耐えがたいストレスと受け取るので、逃げる。
彼は、それがひょっとしたら恩恵かもしれないとは、夢にも思っていないわけです。
キリスト者
その「彼」ってのは、だれかの精神のことですね。この人のこと?(と、現実主義者を見る)
仏教者
いいえ、人類の精神です。
司会者
恩恵かもしれないとは、どういう意味ですか。
仏教者
人間がもし肉体的に完全に生まれついていたら、ほとんどの人間は自分の高慢に気づくことができなくなるでしょう。そうなれば、人間はただの高等動物で終わることになったでしょう。
現実主義者
そうらきた(笑)
あんたたちときたら、どうしてそんな奇妙な強がりをしなきゃいけないのかね。
人間の肉体が不完全でそれが恩恵だというのなら、酷い障害者は大恩恵にあずかっていることになる。
仏教者
あなたは矛盾を突いているつもりだろうが、まさにそう思っていい場合もあります。
当事者にしかなかなか分からないことですから、あなたを納得させることは難しいのですが。
キリスト者
ともかく、ここでも不安の根底にあるものは、死なんですね。
現実主義者
そこで、死にうち勝つことはできないと考えた彼は、そんな嫌なことは忘れて、せめて今のうちにできるだけ遊んでおこうと思う(笑)
仏教者
あんたひとりのことなら、それもいいでしょう。
しかし、これが人間すべてに例外なく降りかかっている運命であることにはっきり気づくなら、その考えのあまりに愚かしいことにも気づくでしょう。
キリスト者
だいたい、忘れようったって忘れられることじゃないんだから、これは(笑)
現実主義者
まあ、…そうだ。
真夜中に、ふと思い立って海を見に行ったり、恋は両思いが望ましいに決まっているのに、葉隠聞書の、片思いに終始する「忍ぶ恋」が至極だという説に、ふと強い魅力を感じたりすること(昔の自分のことです)には、いったいどんな事情があるのかと考えてみると…
仏教者
死がある。
現実主義者
そうなんだよなあ。
キリスト者
つまり、「自分はいつか死にゆく者だ。しかし、なぜそうでなくてはならないのか」
という解きがたい疑問にやりきれない不安を意識下で感じ続けている証拠なんだよね。本人はすっかり忘れているつもりでも、そうは問屋が卸さない(笑)
仏教者
(現実主義者を指して)あなたが休憩前に言ってたことですが、生まれて、ジタバタやって、わけも分からないまま死ぬ…(笑)
命ある者の運命はみなこの通りなんで、生命のこの自覚を強いられているのが、自意識を持つ人間の定めなんだと思うんだ。
キリスト者
その自覚にぶち当たるいくつかの契機の中で、最も切実な関心を持つのが「自分の死なねばならぬ定め」についてであろうと思うわけです。
仏教者
ええ、大きく分けて三つの契機がある。生まれるという契機、生きているという契機、死ぬという契機。
今、こうして生きていることも、不思議さにおいて、死ぬことに劣らないんだけれど、とにかく僕は、この事態に慣れているので、なんとなく分かっている気分でいられるんですよね。
キリスト者
ほんとは、二つの深遠なる闇なんですよ…死と生。
仏教者
生まれるという事は、死よりももっと不思議で重大な契機だと、時にいわれたりしますよ。
キリスト者
それはそうだと思います。
誕生は、その不思議さにおいて死に勝っている。
現実主義者
「自分は生まれた。これはなぜか」というのは根源的な問いですが、「自分は死ぬ。これはなぜか」というのは、ある意味、日常的な問いだともいえますからね。
キリスト者
ある日ひとりの女の股の細い管の開口部から、絞り出されるようにこの世に現れた瞬間が、僕自身のうえにあった事実は、僕自身にその覚えがなくても確実なんだよね。
狭い袋の中に十ヶ月も両膝と額を押し付けるように丸まって、液体漬けになっていて、栄養は臍から摂っていた、おそろしく変なある物が(笑)この僕自身だということも、僕の正直な感覚がまるでそれを本気にしていなくても…確実なんだ。
仏教者
そうなんだよなあ。
おもえば、確実であるにもかかわらず、依然として信じがたいことばかりだけど、しかし「済んだことだ」と思い捨ててしまえば、実際上無関心でいることも、比較的容易なんだよね。
キリスト者
そうなんだ。済んだ事ってのは弱いよね(笑)
(続く)
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