哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

善心で悪心を除けると思う者は、ぶよを除き、らくだを飲み込む

 過去記事に
「新約だけでなく旧約の詩篇箴言などもじつに興味深い。
キリスト教の様々な教えが、仏教の様々な教えと、照応していることに気づくからだ」
と書いたことがある。

この件を、もう少し書いてみる。



(新共同訳マタイによる福音書24)から引用します。
ものの見えない案内人、

あなたはぶよ一匹さえも漉して除くが、

らくだは飲み込んでいる。
(引用終)

 

 

ものの見えない案内人とは、立法学者たちとファリサイ派の人々を指している。

心を、良い心と、悪い心に分別して、良い心で悪い心を除けると思うなら、あなたは、ぶよは除くが、らくだは飲み込んでしまう。

 

愚劣極まるイエス惨殺事件から数千年後の世界に生きる現代人も、良い心と、悪い心に分別して、良い心で悪い心を除けると信じている。

それの何が悪いのかと、相変わらず主張する。

立法学者とファリサイ人とは、まさに現代人のことなのだ。


らくだとは、正義と信じてイエスを殺すこと。もっと一般的に言えば、聖教を諳んじても、それを実践せず、行いが道に契わないことだ。

それは、「ほかの何物にも勝って実がない」心を、自分自身だと信じた結果だ。

彼らは、まさにそのように心を使い心に使われて、大偽善に落ちた。




人間に頼るのをやめよ
鼻で息をしているだけの者に。
(新共同訳イザヤ書2,22)

キリスト教徒は、これを「=神に頼れ」と読む。

おれは仏教徒だから、「=自灯明、法灯明」と読む。

 

 

 



人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。
誰がそれを知りえようか。
エレミヤ書17,9)

 

これで、「自灯明」の自(分)とは、自分の心ではないと分かる。

釈尊は、そこのところを


心は人に従うべきで、

人は、心に従ってはならぬ。

 

と説いた。

分かった。自分=欲望に負けない善心だな。

という解釈はファリサイ人がやった大間違いだ。
善心も、人に従うべき心の一部分にすぎない。

 

 言語表現の限界点に近づいているから、類似体験がないとちょっと伝わりにくい。

昔の人は「心こそ 心迷わす心なり 心に心心許すな」なんて言葉遊びの余裕まで見せてたけど、実際は結局儒教的理解に転落していった事実がある。

ファリサイ人の呪縛から、簡単には逃げられないということだ。








神は人間をまっすぐに造られたが
人間は複雑な考え方をしたがる
(コヘレトの言葉7,29新共同訳)


むなしい者にはむなしいものが与えられ、
豊かな人々には豊かなものが与えられる

(エラズ記7,25)

わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、
世を去るときは何も持って行くことができない

(テモテへの手紙1 6,7)

人は行いによって義とされるのであって、
信仰だけによるのではありません

ヤコブの手紙2,24)

世も世にあるものも、愛してはいけません。

世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません
ヨハネの手紙1 2,15)

 

 

実際のキリスト教徒でさえ、この赤のメッセージはスルーしてる人が少なくないと、おれはおもう。

キリスト教徒でなければなおさらだろう。

これは「存在の意味」に直結していく言葉なので、興味のない人には分からない。
「有るものは、なぜ有るのか」という問題。

こんなことに興味を持つ人はほとんどいないでしょう。おれにとっては切実な問題ですが、まわりは「それのどこが問題?そもそも問題自体、意味わからないし」というスタンスです。

最終的な答えを提示するのは無理でも、このブログを更新することで、そういう大問題が確実にあると、2,3人に分かってもらえれば、じゅうぶん成功だとおもってやってます。















わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
エゼキエル書18,23)



善を行って苦しみを受け、

それを耐え忍ぶなら、

これこそ神の御心に適うことです。
(ペテロの手紙1 2,20)

 

 

 

 

 

 

最後に、おれの好きな『コヘレトの言葉』を

 

 

 

わたしは知った 
人間にとって最も幸福なのは
喜び楽しんで一生を送ることだ、と
人だれもが飲み食いし
その労苦によって満足するのは
神の賜物だ、と。

(コヘレトの言葉3・12,13 新共同訳)

それゆえ、わたしは快楽をたたえる。
太陽の下、人間にとって飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。
それは、太陽の下、神が彼に与える人生の
日々の労苦に添えられたものなのだ。

(コヘレトの言葉8・15)


さあ、喜んであなたのパンを食べ
気持よくあなたの酒を飲むがよい。
あなたの業を神は受け入れていてくださる。
どのようなときも純白の衣を着て
頭には香油を絶やすな。
太陽の下、与えられた空しい人生の日々
愛する妻と共に楽しく生きるがよい。
それが、太陽の下で労苦するあなたへの
人生と労苦の報いなのだ。
何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。

いつかは行かなければならないあの陰府には
仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。

(コヘレトの言葉9・7~10)





 

 

 

 さあ、これを、

あなたはどう読む?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)  

Dion
「浮気なスー」 

♪とんでヘレヘレヘ!♪


Dion LRBC Jan 2013 "Runaround Sue"

 

 日本では、スリー・ファンキーズがカヴァーしてたね。


TBJ&スリー・ファンキーズ

 

 

(過去記事統合増補編集再録)