哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

瞑想は、根本幻想に気づくためにやる。

 瞑想の目的は、
 
「自分意識」は幻想だ
 
と明晰判明に気づくことだ。
 
理屈で無我だと理解しても、それだけでは不十分だ。
 

 自分は死んでも生きているとおもっているうちは、無我ではなく我執だ。
不滅の魂、大我、眞我、みな捨てられない我執の言い換えにすぎない。

それが間違いだとはっきりと気づけば無我だ。これがひとつの表現。

諸行無常だとはっきり気づく。

一切行苦だとはっきり気づく。

これらみな、同じひとつの真実(無我)を別の角度から表現したものだ。
 
 


How to meditarion 2


 理屈で無我だと理解しても、それだけでは不十分だ。と何度も何度も確認する必要がある。人はこれを、実にすぐ忘れるからだ。
 
「肉体は自分ではなく、精神の住まいだ」と聞くと、
 
精神=不滅の魂=自分は死んでも生きてる
 
と、観念遊戯が自動的に始まり、
たわいなく原始人に退行する。
 
 
瞑想も自分の妄想の飾りにするくらいなら、徹底した我利我利亡者で博打でも打ってるほうがまだましだ(取意)と、「宝積経」には出ている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (My Favorite Songs) 
 ポール・アンカ
「ダイアナ」
 
(過去記事統合増補編集再録)