おれは、3日前の記事「已矣哉」に
社会生活の苦労や努力は修行ではない。
と書いてます。
これは当節では、幼稚で、非常識な言説とみなされます。
なぜなら、世間の常識は
世法と別に仏法があるのではない。
社会で真面目に仕事さえしていれば、それが立派な修行だ。
というものだからです。
このことに関して書いた
過去記事を、以下に再録します。
(仕事がサティを維持できないほどきつい拘束になれば、その時点で仕事を辞める。数年前に勤め先を辞めたほんとの理由も実はそういうことだった)
近所の電子部品工場で、3ヶ月ほど午後の4時間バイトをすることにした。
作業はプリント回路板をマガジンから抜き取って箱に6枚並べて、その上にクッション板を乗せ(7)また回路板を並べ、の単純な繰り返し。
このルーティン動作に合わせて7まで数える簡略なヴィパッサナー実践を試みている。
実際の今・此処の動きと繋がっているので、数をかぞえ続けても呪文に堕落することはない。
たまに話しかけられると集中が途切れてしまう。
他人から見れば、脇目もふらず作業に没頭している姿にほかならないので、職場受けは良い。
このくらいの軽い拘束がおれには必要で、ちょうど具合が良い。
家で一日自由だと、漫然とテレビ見たりして、ろくにヴィパッサナー実践ができていないのだ。
とはいえ、未熟なおれには、拘束の助があってさえ4時間の安定的持続が容易ではない。
なんとか続けたい。
※ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在(今・此処)」に気づき続けること。
ちょっと安定してきたので欲が出て、もっとましなヴィパッサナーにかえてみたりする。
「右手伸びます。(プリント回路板を)掴みます。(マガジンから回路板を)引き抜きます。右手曲がります。左手曲がります。(右手から左手に)持ちかえます。左手伸びます。(箱の中に)置きます。放します」等、細かく実況中継。
予想通りあまり続かない。
とっとと7まで数えるヴィパッサナーに戻す。
不十分でも続けることがなにより大事。
1ヶ月過ぎたころ、契約内容の変更を告げられた。
午後4Hパートが、明日から8:15~17:15のフルタイムになる。
諸事情から断れない。
電子端末での不良品チェック分別等、担当作業の種類が増えて、おれ程度だと簡略なヴィパッサナーでも実行が難しくなる。
社会で真面目に仕事さえしていれば、それも仏道修行だという説はほとんどまやかしだ。
たとえ社会の荒波を抜き手を切って泳ごうと、サティがなければ死んでいる。
↑ これに関連するスマナサーラ長老の説法「Q不放逸ということば」があります。
ブッダ独自の用語「不放逸」とは日々の仕事を一生懸命やる事ではない。不断のサティのことだと。→https://docs.google.com/file/d/0B59ftD8hZk1UdTdWNkx4UnQtYnc/edit?usp=sharing
優先順位の逆転が徒死を引き起こす。
全ての全てに
サティを優先させるのが
智慧の証だ。
仕事がサティを維持できないほどきつい拘束になれば、その時点で辞めて、人生の優先順位を復旧する。
※サティ
「瞬間の現在(今・此処)」に気づいていること。
「ウィキペディア サティ (仏教)」→
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3_%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29
(My Favorite Songs)
ザ・ローリング・ストーンズ
「涙あふれて」
マリアンヌ・フェイスフルのもヒットしたけど、やっぱりミック・ジャガーのほうが断然いい。
The Rolling Stones - As Tears Go By (Shine a Light 2008) Full HD
じつは、ビートルズよりローリングストーンズのほうが昔から好きだった。
ストーンズもたくさん名曲があるが、その中でも「黒くぬれ!」がいちばん好きだ。
Rolling Stones - Paint it Black 2006 Live Video HD
(過去記事統合増補編集再録)