哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ただ見つめる、万物のなかで最初で唯一の瞬間を


気づきが無いなら、それは瞑想ではありません。
瞑想が自動的に進んだり、瞑想の結果を予知することはできないのです。
瞑想しているとき、それこそどんな経験をするかといういうことは、決して予知できないのです。
瞑想は毎回探求であり、実験であり、冒険です。…
瞬間瞬間の現象を、万物のなかで最初で唯一の瞬間であると観察することが、ヴィパッサナーにとって不可欠なのです。

テーラワーダ仏教H.グナラタナ大長老 出村桂子訳 強調は私です)


 

 

 

 

 

 万物のなかで最初で唯一の瞬間を見ているという新鮮な感動でヴィパッサナーに熱中していると、ある人は

はからずも

 

 

世界はなぜこのように存在するのか?

なぜ無ではなく何かがあるのか?


と思い至り、たちまちこの疑問に取り憑かれてしまう。

 これは最も根源的な存在への問いだから無理もない。

(大多数の人には「なんのこっちゃい」なのだが)

 

 

 

しかし、これはブッダが「毒矢のたとえ」で禁じたことで、ひとまず止めるべきなのだ。

 

只管観察のヴィパッサナー実践から逸脱してしまい、肝心の修行がタイムリミットでとん挫するからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   (My Favorite Songs)  

 キンクスの懐かしい曲メドレー。 


The Kinks - You Really Got Me (1964) / all day and all of the night (1965)

 

(過去記事統合増補編集再録)