哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ざんしゅつげんぷくもつ(暫出還復没)


親鸞聖人『教行信証』化身土巻に「涅槃経」の気になる教えが引用されている。


四つの善事あり、悪果を獲得せん。

悪い結果になる善行が四つある、というのである。
こういう善を実行してはつまらないわけだ。


(以下、青字は経典引用文、黒字はおれの試訳と感想です)

何等をか四とする。
一つには勝他のためのゆえに経典を読誦す。


相手を言い負かしてやろうと思って、仏教を勉強すること。

二つには利養のためのゆえに禁戒を受持せん。

金と名誉のために、立派な修行者をまねること。

三つには他属のためのゆえにして布施を行ぜん。

ひとを自分に靡かせるために、布施をすること。

四つには非想非非想処のためのゆえに繋念思惟(けねんしゆい)せん。

真の悟りでない「洗練を極めた煩悩」を目的に修行すること。




この四つの善事、悪果報を得ん。

もし人かくのごときの四事を修習せん、これを、没して、没し(おわ)りて還りて出ず、出で已りて還りて没す、と名づく。


こういう人は、いくら必死に努力しても一時的に善くなり、また悪くなるこという浮き没みを繰り返すだけだ。

何がゆえぞ「没」と名づくる、三有(さんぬ)(ねが)うがゆえに。

没むのは、迷いの生存を盲目的に欲しているからだ。

何がゆえぞ「出」と名づくる、明を見るをもってのゆえに。

浮くのは、釈尊の教えの一部分を知るからだ。

「明」はすなわちこれ戒・施・定を聞くなり。

釈尊の教えとは、戒律と布施と禅行を学ぶことだ。

三有】さんぬ
欲界・色界・無色界の三界の生存である欲有・色有・無色有。(大辞泉)

 

 

 

 

 

どれほど優れた善を行ったとしても、

隠し持っている正味の自分

 

貪瞋痴に夢中になってる自分

 

悟ったら大損すると恐れる自分

 

に気づかなければ、

「俺・俺のもの」を後生大事に温存したまま懸命に努力することになり、ブレーキを踏んだままアクセルを吹かすような具合となり、真の修行は始まりもせず、せっかくの努力と忍耐がすべて裏目に出てしまう。







(涅槃経 迦葉品)
<原文読み下し文>
もし衆生ありて諸有を(この)んで、
有のために善悪の業を造作(ぞうさ)する、
この人は涅槃道を迷失するなり。
これを暫出還復没(ざんしゅつげんぷくもつ)と名づく。

黒闇生死海(こくあんしょうじかい)を行じて
解脱を得といえども、煩悩を(ぞう)するは、
この人還りて悪果報を受く、
これを暫出還復没と名づく。

 

 

「悪い結果になる善行」を要約した詩(偈)。

石田瑞麿訳)

迷いのこの世  ねがうひと
迷い善悪    なすときは
涅槃のみちを  失えば
浮きては沈むと 名づくなり

暗き生死の   海こえて
さとるも煩悩  まじうれば
またも悪果を  うくるゆえ
浮きては沈むと 名づくなり



 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs) 

美空ひばり
「お祭りマンボ」
車屋さん」
「リンゴ追分」
すばらしい名曲名歌唱ですね。


お祭りマンボ(美空ひばり)

 


車屋さん/美空ひばり

 


リンゴ追分(美空ひばり)

 

昔、付き合いのカラオケで 歌った曲。


MBT573 港町十三番地② 美空ひばり (1957)1981-131109 Ver4L

 

(過去記事統合増補編集再録)