「平常心是道」は馬祖道一の名句ですが、公案になっています。
南泉と趙州の問答。
(試訳)
趙州問う「どんなものが道ですか」
南泉云く「平常心が道だ」
州云く「平常心をめざすべきですか」
泉云く「めざすと、失敗する」
州云く「めざさなければ、
どうして道だと分かるんですか」
泉云く「道は、分かるとか分からないとかではない。分かったと思っても、それは妄想にすぎない。分からないのはたんなる無知だ。もし本当に道に達すれば、あらゆる迷いはきれいさっぱり消えてしまう。こんな議論をする余地もないのだ」
趙州はたちまち悟った。
趙州問う「如何なるか是れ道」
南泉云く「平常心是れ道」
州云く「還って趣向すべきや否や」
泉云く「向わんと擬すれば即ちそむく」
州云く「擬せずんば争でか是れ道なることを知らん」
泉云く「道は知にも属せず不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不擬の道に達せば、猶太虚の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや」
州、言下に於て頓悟す。
趙州の的確な質問がさえてますね。
質問者はこうでないといけません。
師匠の南泉和尚も答える甲斐があったでしょう。
この時、南泉48歳、趙州18歳くらいとのこと。
趙州、言下に於て頓悟す…18やそこらで悟り開いちゃったわけですよ。
えらい簡単みたいだけど、平常心是道は、もう修行いらんという「そのまま主義」とは違うんですね、これが。
「平常心是れ道」を趙州、たとい悟るも、更に参ずること30年 。
(無門関第19)
悟った後の、この参禅30年はなんですか。
120歳まで生きて日々唯一無二の禅を説いた。
趙州は甚深の仏法を日常平易な言葉で示し、
唇から光を放つと評された。
趙州を超えて法を継ぐ力量の弟子
は出なかった。
その記録された言葉の多くは
今も公案となって活きている。
直近で観た「宮本から君へ」とテーマは同じだ。
愛する女を全身全霊で守る一途な男の物語。
インド人の発想のでかさに圧倒される。
このテーマに輪廻転生かませるかね。
あきれ返るほど振り切った表現を恥ずかしげもなくやってのけるから敵わない。
でも、このくらいやらないと、ほんとにいききったといえないとおもう。
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