哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

わたしは今ここで苦しいという気づき。

 

 

 

 

 ブッダのエピソードにあった女の子は
明日のこと考える余裕ないんです。
今日苦しんでるんです。
だからそうやって、物凄く苦しみに目覚めている場合は
ブッダ智慧に触れると)一発で、さとりに達します
(上の動画スマナサーラ長老の説法から引用。カッコ内は引用者注)


物凄く苦しみに目覚めている場合とは、苦聖諦の体得のことだ。
この無学な女の子は、苦聖諦の(言葉では
なく)内容が身についていた。
だからブッダの短い導きで、さとりの最初の段階・預流果に一瞬で達した。
(これは、なんでもいいから苦しめばさとるという意味ではない。もしそうなら、雪山の遭難者や自爆テロ者は皆さとるはずだが、そうなってないでしょ)

死んだらあの世に引っ越すだけと妄想しながら、あらゆる苦しみを山ほど味わっても、ちっともさとれないでしょう。ただ苦しみ損で終わるだけ。



 大多数の人は、真理をさとる唯一無二の入口であるこの苦聖諦を、問答無用で、蛇蝎のごとく忌避する。

自分が死を超えられない存在だという最も基本的な事実さえ、認めていない。

なぜか。

真理である苦聖諦・無常・無我・自分は死を超えられない、これらを認めれば、自分が大損するだけだとおもっているから。
実際のところ、彼らは貪瞋痴に夢中で、貪瞋痴を絶対捨てたくないからだ。

つまり大多数の人は事実上「さとりは損」「さとりたくない」とおもっていることになる。
口先だけで

「そりゃさとれるものならさとりたいわ」

と平気で言うが、

彼らは実際の行動で、それが真っ赤な嘘だと証明している。

だからこそ

「あなたはすでに救われている。実は初めからさとっている。だから、あなたはそのままでいいんですよ。ありのままでいいんですよ」

というバカ話に簡単に洗脳される。



苦しみに目覚めてない人は洗脳が酷いっていうことなんです。
吾輩は幸せだあって言ったら、その人はもう治らない位、病気です。
だからそこら辺は冷静に物事を見なくちゃいけないんです


仏道の場合はね、実践修行すると本当に楽しく生活しなくちゃいけないんですよ、先ず。
だから楽しく生活する為には、と言ったらすごい金が掛かる、金は掛からない、今のあるもので満足しなさい、と。
満足してそこで楽しみを作ってくださいとは、プログラムの中で我々は教えます。
そういう事を実行もしないで、単純に、私は億万長者だとかね…億万長者になって、何があるのかと聞きたいしね…