哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人生には「今」しかない。ところで「今」って?

 

 

 

 エックハルト・トール

集まって椅子に座っている聴衆

一人一人に

言葉で示す。

 

あなたの人生の真の目的は

 

「ここに座っていること」

 

です。

 

 

人生の目的は、未来じゃない。まして過去でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 みんな「今」くらい知ってるつもりだが、じつは「今」について何もわかっていない。

「今」を体得したいなら、
溺れる者が必死で酸素を求めるようにヴィパッサナーしなければならない。


ヴィパッサナーせず、今このままの日常でいいとおもう人は
迷いの河を渡らず、渡ったつもりになって
ブッダの筏を捨てる愚者だ。

当然だが、その人はいつまでたっても河を渡れない。



 本人に河を渡る覚悟がなければ、ブッダから与えられた筏は邪魔になり、
渡らずに捨てても面目が立つ理由を、なんかかんか探すようになる。

懸命に屁理屈こねて「世法即仏法」とか「このままでいい」とか『証明』する人。


こういう人達は、ブッダの教えが

なぜ出世間法なのか
なぜ無我なのか
なぜ無常なのか

が全部根本的に分からないので、
人類の至宝であるブッダの筏が、
かえって精神的負担になる。
大我・如来蔵・仏性・本覚思想・世間法即如来法…
これ皆、苦労して彼岸に渡る意味がよく分からない人達が、
此岸に気分よく居続けるために作った、筏を捨てるための戯論だ。

 

 

 

 

  気分よく居続ける

ことなんて

できないんですよ、

 

  病気になるし

死にますから。

 
 
 
 
 
 
 

でもそれも、魂は死なないなんてアホな妄想で自分を騙す。

 

他の場合なら、絶対のらないような低レベルのアホ話。

老病死に追い詰められ切羽詰まると

背に腹は代えられないと「利口に」計算して

魂(真の自分)は死なないなんてアホな妄想に

みんなでのれば怖くない

ということで。


人はがんらい、河を渡る(=修行する)気迫に欠けているから、
この弊に気づいてもなかなか改めることができない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  このままでいい

わけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※:サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づいていること。
※:ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

ポール・マッカートニー。不出生の天才作曲家。
 

「グッドナイト・トゥナイト」

 

 

 

 

 

マイケル・ジャクソンと。
セイセイセイ

 

 

 

 

 

(過去記事統合増補編集再録)